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友情

K君への贈り物 あの懐かしき少年の日々

海辺にせり出した小さな村は夏の午後6時になろうかと言うのに
まだ太陽が西の空に留まって紅い炎を燃やしている。

開けっ放しの玄関口から5~6歳ぐらいの少年が顔を覗かせて庭先に
入ってきた。

「ああ! K君?」 家人が暖かく声をかけた、
「じいちゃん・・・?」後は無言、そして恥ずかしそうに用件を口にした。

「ああ、おじいちゃんを迎えに来たの?」そういって母屋のすぐ横の
隠居に声をかけた、
「Nのおじいちゃん居ますか? K君が迎えに来ましたよ・・・」

「おおKか? 迎えに来てくれたのか! 分かった、帰るよ !」
やや大柄で温厚なおじいさんは孫を労わるように家路を急いだ。

昭和が、まだ敗戦の痛手から立ち上がろうとする辛い時代の寒村の
ひとこまだった。

太陽が西の空で暖かくふたりを眺めて見送った。

母親の居ないKの家は祖父母と復員兵の父親との侘しい暮らしだった、
私の祖母と彼の祖父は、作家獅子文六の 「てんやわんや 」の舞台の
愛媛県津島町の海に突き出た漁村から出稼ぎに来てそのまま定着した。

無口でおとなしかった少年は、中学へ進むと野球部に入り、正捕手の
ポジションを掴んだ、こうしてKは、逞しい少年へと変身して行く。

私との交友が途絶えて行く事になる、
同じ村に住んでいながら世間に心を閉ざしていた孤独な青年に後輩を
気づかう余裕はなかった。

お決まりの中卒少年達の集団就職は、彼の身にも及んで関西へとKの
姿は消えたのである。

心に秘めたKへの想い、不憫だった後輩への思慕は長い年月の消息不明
の前に沈殿して行った、(生きているのか ? 何処にいるのか ?)

風の便りは、
Kが大阪に居るらしいとの輪郭だけは知らせてくれた (そうなんだ)
(逢いたいな! 元気な姿を見たいな?) こうして月日は時を刻んだ。

運命の再会は、松山市の温泉街 道後のホテルで実現する、
Kの中学の同級会、別の大阪の後輩を開催されるそのホテルに訪ねた、

宴会前のくつろいだひと時、こじんまりした和室の小部屋に数名の
後輩達がいた、幹事役は高校で体育教師をしている私の身内の後輩、
5人の中に一人だけ知らない男がいる、色白の穏やかな紳士だった。

幹事の後輩に・・・
「この人は、誰 ?」 てっきり隣村の後輩かと思ったのである、
「あれっ! Yやん (故郷の人々は私をこの愛称で呼んでいる ) 知らんの?
NのK君よ・・・!」

あれほど恋い焦がれた後輩 K ! あれほど気がかりだった男が黙って
見つめていた、私は基本的に相対する人間には敬称で呼び、語りかける、
しかし、この時は昔の呼び名で語りかけた。

「K か ?」 当然昔呼んでいた本名での呼び捨てだった・・・
語るほどにKの記憶がよみがえる、彼の苦難の歴史を聞く事になった。

大企業の下請企業で名の通った会社名は、私でも知っている大手だった。
家族は妻と教師をしている娘の三人家族、彼に相応しい幸せな家庭を
築いていた、よかった! よかった! ようやく私の杞憂は解消した。

正月も10日、
田舎で大規模柑橘農家を営んでいる姪夫婦から、思いも依らなかったみかん
が届いた、Kの家族に食べさせてやりたい! 我が家族より後輩を優先した
私の胸の内だった。

クロネコヤマト東営業所、私の想いを運んでくれる宅急便である、
明日、昼 12 時 前後、彼の元へ届く、

大阪は私の気がかりな人々の住む街、大好きな都会、おおさか維新の橋下氏
が住む街、地道に努力した者が、幸せを掴んで貰いたい街、感謝です。

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