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人生

私は雲に乗りたい   河川敷にて   春

晴れ渡った空には所どころに雲がたなびいている、
春霞に包まれた天空は平和そのものの様相を呈して心を
和ませてくれる。

車で数分、花樹センター北側の土手に出向いた、
河川敷へ降りる一角に三台分の駐車スペースがある、
私の骨休めの憩いの場でもある。

数メートル下の河川敷は広場になっており、
花樹センターに模様しものがあると数百台分の駐車場に
とって代わる。

芝生が適度に刈られて、のどかな風景を醸し出していた。

電話がかかってきた、リスナーからの連絡、その対応の為
大阪へ電話をいれる、地元の司法書士へ連絡するも通じない、
祭日明けの予定にいれることにした。

家にいればこれ幸い諸事 仕事が待っている、大ゴミ捨ての
名目でこの別天地へ避難したと言うことである。

自然に囲まれた我が家周辺には、私の隠れ宿ではなく隠れ
場所が何箇所かある、都会人にとって羨望の的的存在。

車を止めて本を開く、アイパットで幽玄の世界を飛び回る、
土手の石段に腰をおろして思索に耽る、向こう岸を車が走り
ランニングの人々の躍動感が眩しい、まさに平和を満喫する
時間である。

その向こうを高速自動車道が走る、今も覆面パトカーが
サイレンを鳴らして違反車両を追跡していた。

行楽に出てスピード違反に引っ掛かるほど悔しいものはない、
しかし、交通事故で死亡一歩手前で助けてくれたと思えば
救われる。

反則金は痛いけど起きたことは仕方が無い、良い方に考えて
生きる糧に致しましょう。

小鳥達の囀りが鼓膜に程よいミュージックとなって聴こえる。

真上にいた千切れ雲が少し東の方へ移動していた、東京へは
いつ頃到着するだろう、それとも途中で名古屋辺りで雨に
変わるのだろうか ?

通り雨がイイ ! 集中豪雨だけにはならぬよう願いたい。

雨にロマンを求める人、雨に悲しみの過去を思い出す人、
人の世は、千差万別  雨霰、相合傘の別れに泣いた友は、
昨年の秋、一足先に黄泉の国へ向かった、二度と帰れない旅に。

「Sよ・・・!」男が無言で流す涙ほど切ないものはない、
女の心に届けてやりたいと、何度思ったことか !

人生は、人の数ほど 織りなしている、星の数ほどの 中に
私の人生もあるのだろうか ?

河川敷は、男の胸の内を、黙って見つめていた。

雲がゆっくりと歩を進めていた、「 ♪ 雲にのりたい・・・」

一日限りの愛の歌 ♪ 雲にのりたい  黛ジュン

あのたなびく雲に乗って あの人の住んでいる街に行きたい
乙女達の忍び泣きが続いた あの昭和の時代

これから日本は何処へ行くのでしょうか ?
いたいけな子供達の笑顔が いつまでも続きますように 

雲にのりたい 夢を見て 夢を追う 平和な日本を 願って

私は雲に乗りたい   河川敷にて   春” に3件のコメントがあります

  1. 杉の子さん こんばんわ!

    すでに忘れ去った歌を思い出させて貰いました。懐かしいです。
    名古屋にいたころ、二人の姉は吉田正さんの門下生になりました。で、3姉妹を一緒に売り出そうという
    話があったのですが、中学生だった私には、歌手になり歌謡曲を歌うことは考えられませんでした。
    今頃このようなことを書くのは、写真のほとんどはすでに焼いてしまったのですが、宮崎に行った時
    記念に一冊くらいは残しなさいと、きちんと整理したアルバムを姉が手渡してくれました。
    3姉妹で撮った写真があり、つい懐かしく、懐かしのメロディまでもが思い出されて来ました。
    転居ばかりを繰り返してきて、つい何でもかんでも切り捨ててしまう癖もついてしまったように思えて
    なりません。

    あ!先日のご挨拶がまだでした。熱燗で一杯のつもりがつい酔ってしまい、あれから深水さんはおいでに
    なられたのでしょうか? 女性のそれもおばあの飲み過ぎはいただけませんね。きっと、踵を返してお帰りに
    なられたのでしょうね。

    杉の子さんの憩いの場所は春の土筆が伸びていますか?
    愛媛はレンゲソウの満開の風景はありますか?
    残念ながら田舎のそして日本の原風景である、土筆やレンゲソウがないのです。
    この二つの植物を食して「春が来た」と実感していたのに、沖縄には、如何したことかないんですよね。

    杉の子酒場で愚痴を言わせてもらって、何やらブログも書いて、元気になりつつあります。
    レオさんのブログでは、最初、杉の子さんが深水さんにコメントされた言葉が今でも浮かんで参ります。
    杉の子さんが口癖のように仰る「男の友情はいい!」
    深水さ~ん。一日も早く元気を取り戻して下さ~い!。

    それから、我が家の住宅事情で、時々隣町の娘宅へお泊りすることになっています。
    その折には、ブログ訪問が出来ませんが、また帰り次第参りますからね。
    杉の子さんのお誕生日には美味しいお摘み持参で参りますよ。

    10時になろうとしています。お二人様、おやすみなさいませ。

    1. コスモスさん、
      深夜になってしまいましたがご返事差し上げます。
      私達の年代にとって作曲家吉田 正先生は雲の上の人、そして数々の名曲を作曲された偉大な音楽家。
      3人姉妹の歌自慢が眼に浮かぶようです、私の高校の後輩がポリド-ルレコ-ドからデビュ-の話が
      有ったようですが事情で断念いたしました。女性です。

      女優では吉永小百合と同年齢、歌手では♪ 愛と死を見つめて の青山和子の時代でしょうか、
      高校の送別会で美空ひばりの♪哀愁波止場を歌って全校生徒を唸らせました、私の演歌好きはこんな
      ところにもあります。

      ツクシは卵とじが大好きで今夜の食卓に登りました、レンゲ草はレオさんの得意なところだと思います、
      海に面した私の故郷は田園地帯とは反対に平地での田圃がありません、だから小学低学年の時、宇和盆地
      に一泊二日で先輩に連れられて行きました、その時 目にした田圃のレンゲ草未だに脳裏から離れません。
      新鮮な驚きでしたね。

      ♪ 雲にのりたい 黛ジュンのデビュ-は私にとって小悪魔でした、引き込まれましたねSスクリ-ンで
      引き続き載せていますが、由紀さおり の ♪ 雲にのりたい が素敵ですよ。 0時半を過ぎました。

      おやすみなさい。

  2. 杉の子さん  おはようございます。

    今朝のタイトルは「やはり、ご縁ですね!」

    20歳で結婚するまで、大阪豊中市に住んでいました。高校を卒業する少し前に、ポリドールの
    レッスン場に通っていました。
    あのころ「月の法善寺横丁」を歌われた「藤島武夫」さん、おけいちゃんの愛称で親しまれた
    「松山恵子」さんが、ポリドールで活躍されていました。
    レッスン場では、歌手で後に俳優に転向された「高城丈二」さんにお目にかかりました。
    高城さんは同じ豊中市に住んでおられましたが、後々有名人に(といっても、ハンサムな方でしたので
    舞台の後では、取り巻きが大勢で近寄れませんでしたが。)なられて、現在は如何されているのかと
    検索したことがありました。スクリーンから消えて久しく、行方も分からず謎の人なのですね。
    人生幾つもの選択しがあり、そのとき右へ曲がるか左へ行くか、真っすぐ行くか・・・で、出会う
    人も運命も違ってきますね。もしかしたら、杉の子さんに影響を与えられた、その方と巡り会った
    のかも知れませんね。そう思うと、偶然ではない何かを感じてしまいます。
    その方ではなく、杉の子さんとお知り合いになったことが・・・です。
    お笑いください、そのころはシャンソン歌手を目指していたんです。
    何事も中途半端で来てしまいましたが、一杯一杯の体験をして、「おもろかったワ。」とこれまでの
    ことを思い浮かべます。
    それにしても、杉の子さん、睡眠はちゃんととられていますか?
    お忙しい人へ長い長いコメントを?差し上げるちえバァちゃんも「なかなかしたたかな奴ですね。」

    ついつい、ポリドールと聞いて、これまた懐かしく思い出してしまいました。
    今日も大忙しの杉の子さんですね。どうぞご自愛くださいますように。

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