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思い出

七回忌 お前って奴は Mよ。

約束の時間に、後輩の居ない未亡人宅を訪問した。
彼の妻が変わらぬ笑顔で迎えてくれた、
ああ元気そうで何よりだったとほっと胸をなでおろした。

仏壇の有る居間に通された、
後輩Mと空手に打ち込んだ息子のT君の写真が額縁の
中から微笑んで迎えてくれた。

昨年、七回忌でしたと妻は話し始めた、
その後、妻の母が亡くなったのである。

依頼された仕事の話は後にして、夫と息子そして母上の
思い出話に耳を傾けた、
気丈な妻である、私の竹馬の友Kちゃんの姪だけあって、
しっかりしていてくれた。

額縁の後輩は、穏やかなたたずまいを見せてくれて
息子のT君はにこやかに笑っていた。

闘病生活のくだりは胸に迫るものがあった、
妻が言うには、主人は弱い人だと思っていたので病院の
先生には詳しい病名は伏せてくれるよう頼んでいたとの
ことである。

しかし、彼は分かっていて黙って死出の旅についた、
最後の方は、ご飯は求めるがじっと眺めて手をつけない
薬は黙って包みを解きゴミ箱へ入れたそうである。

おとなしく穏やかに人と接する男だったが、息子の空手の
腕が上達するほどに、親として息子とともにたくましく
成長したのであろう。

妻が言う、パパは弱い人だと(精神的にか?)思って
居ましたが強い人でした、目じりに涙がにじんだ。

私とは、何でも話せる間柄だったので、弱い面も強い
面も素直に見せていた。
だから、闘病生活に萎える気持ちはなかったと思いたい。

私は妻に答えた・・・
「Mは、妻と娘を残して旅立つ無念と心残りはあったと
思うが、自身の死については達観していたのではないだ
ろうか、息子の元へ行ってやれる、逢えるんだと・・・。」

並んでいる二人の写真を見ると、私はそのように確信した。

家族を守った責任感、男として粛々と死での旅についた心。
後輩Mは見事な生き様を私に示してくれた。

10年前の私の癌宣告が昨日のように思い出される、
だからMの胸中がよく分かるのである。

私は、
「湿っぽい話はやめて、今日は明るい話をしましょう
Mもそれを望むでしょうから」 と。

時間がいささかオ-バ-してしまった、
本来の仕事の話をお聞きして辞退することにした。

(Mよ、有難うな、Tちゃん(彼の妻)の相談に乗るよ。」

いつの間にか外は夜の帳が下りていた。
七回忌 Mよ お前って奴は たいしたものだよ 見直した。
Mと一杯やった、あの夜を思い出していた。

(有難うな いつか又 会おう・・・)

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