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雑談

明治の息吹き 開明学校と宇和聾学校 雪投げ

あれは ・・・
昭和が平成に代わる10年ほど前、昭和が終わるとは夢想だに出来な
かった頃、その山間の町は白い雪に覆われていた。

私は、山裾にある聾学校に向かっていた、未知なる出会いに不安と
期待に胸を膨らませていた。

手話講習会で指導を受けたA先生の紹介で女性のB先生をお訪ね
した、静まりかえる聾学校は校庭の雪の寒さとは違い暖かい雰囲気
を醸し出していた。

挨拶を済ませて一階の廊下に立ち止まっていた、
休み時間になったのか、小ちゃな幼稚園生ぐらいの男の子と女の子
が数名目の前に現れた。

珍しいモノを見るように一斉にこちらに視線を這わせた、
当時の聾学校では口話教育を行っており手話は禁止されていた、
辺りを見渡して先生がいないのを確かめた私は冒険に出た。

そっと手話で子供達に語りかけたのである、それまで不思議な
モノを見るように警戒心で恐る恐る見ていた子供達の表情が一変
した。

「何処から来たの ? その子供は ?」
私は、二歳の次男を連れていたのである、福祉事務所主催で手話
講習が終わると「あゆみの会」と云う手話サークルを結成した、
その頃の思い出である。

私は、「手話が出来るよ、名前はSと言います、Y市から来ました」

全員の目がパッと輝いた ! と同時に私の周りに集まって来て、
使えない筈の手話で語りかけて来た、後から先生に聞くところに
よると子供達同士は口話と手話でやり取りしているとのことだった。

その後校庭に飛び出て子供達と雪投げをした、全員私の身体に
まとわり付いて喜びの声を発した、余程嬉しかったのである。

遠き日の忘れ得ぬ思い出、私の身体に衝撃が走った、「よし!」

純真無垢な子供達、この学校を卒業してY市の自動車修理工場で働く
聾唖者の友は、ある私の問いかけに、こう答えた・・・
「けして、不幸ではありません、少し不便なだけです・・・」

天真爛漫、その自分たちの障害にめげず明日を見据えて歩く子供達
私と彼らとの交友は更に花咲くことになった、

教会の牧師さんから急遽サークル会長の任を引き継いだ私は彼らの
心のひだに入って行く事になる、障害とは、福祉とは、いったい ?

私の以降の人生に彼らから受けたものは数知れず、人間の幸せとは !
お金に縛られない私の生き方が形づけられて行く。

昭和53年頃の冬の宇和盆地は、街の活性化を迎えるには、まだ遠い
過疎の中にあった。

その宇和聾学校からそう遠くない場所に四国最古の小学校である、
開明学校は佇んでいた、ここは、南予 文化. 宇和の町に明治の到来を
告げた学舎である。

明治の息吹き 開明学校と宇和聾学校 雪投げ” に4件のコメントがあります

  1. 杉の子さん。
    onecat01さん。

    こんばんわ。
    今日はこちらの窓から失礼を致します。
    過日のコメントも中途半端で失礼をしております。
    車でしたらさほど遠くない距離のM中学校のイジメの問題ですが、当事者のお父様が「氷山の一角だ」と
    テレビで仰いっていましたね。
    ただ今、イジメではないと否定していた学校側の対応でしたが、動画拡散のおかげで、学校側も
    本校生徒によるイジメであることを認め、対応中との事です。
    地域の学校でも、ただの主婦であるコスモスに依頼しなければならない程荒れ果てた学校でした。
    姉も沖縄に転居して、本土との差に吃驚して直ぐに役員になりました。コスモスも娘のいじめが
    原因で直ぐにPTA役員に名乗りを上げました。
    小学校では教師と地域の保護者の結束が固くて、何事もスムースにことが運んでいたように思います。
    ですが、中学校は難しかったですね。特に教師は「曲者が多くて」一般の家庭から推薦されたコスモス
    は途端に一部の先生たちのイジメの対象になりました。
    男子生徒による暴行もですが、女子生徒によるイジメも陰湿で一年間イジメにあっている生徒にずっと
    お付き合いしておりました。頭の良い生徒で朝コスモスが登校して各教科の出題を受け取り、生徒の
    家に行き、生徒と二人で生徒が喜んで行ける場所「コスモスが開設していた文庫の公民館の一室」に
    通いました。ここに通えば登校した・・・ということになったおりました。不登校の生徒が、卒業式に
    出てくれたとき、とても嬉しかった。
    高校受験は一年遅れましたが、一年後めでたく進学し、その後上京してある劇団のシナリオなどを書いて
    いるという知らせにホッとたものです。
    ウチナンチュは自分の島に対して人一倍の郷愁をを持ち、大切に思っています。ですが
    この女子生徒はあれから一度も沖縄へ帰って来ないのです。
    複雑な家庭の事情もありますが、青春時代を過ごした故郷の思い出でしょうに、帰りたくない・・・
    という思いにさせてしまった、そのことが悲しく、何時の日か全てを受け入れ昇華させる日があろうかと
    思っております。現在は予算削減でカウンセラーも用務員も全て無くなり、現在生徒は心から相談する相手が
    いないのかも知れません。

    ネットの力・・・それがなければうやむやにしてしまう諸問題・・・お二人のエネルギーも有り難く思っております。

    話はぐっと変わりますが、コスモスはただ今数人の方のブログしかお邪魔しておりません。
    せっかく取り寄せました藤沢周平の書物もコスモスの目が悪くなっていて、読み取れなくなりました。
    パソコンのお二人の投稿は読めますよ。字を拡大して読ませていただいております。
    眼鏡も新調しなければなりません。
    でも、ケセラセラです。何事も明るく明るくですね。
    それから、onecat01さん。ある方のコメントで「ねこ庭に野良猫が、2か月前に」というコメントが目に留まりました。
    随分前になりますが、娘が身体がだるくて、熱が出て一向に良くならないのです。医者に診せて、処方された薬も効かなくて
    通いましたら「ねこひっかき病」と診断されました。完治するまで時間がかかりましたよ。
    野良ネコちゃん、大歓迎でコスモスの処にもおりますが、どうぞお気をつけて下さいね。
    過度になる必要はないとは思いますが、幼馴染は年代もありますし・・・ね?!

    なんだか間抜けなおお便りなのですが、お二人に忘れちゃいかんぜよ~! のコメントなのです。

  2. コスモスさん、
    貴重なご意見有難うございました、辛い経験を思い出させてしまったようで申し訳ありません、

    親友の娘は高校で苛めにあい、その辛さをよく聞かされました、又別の知人の娘は苛める側で
    その知人の家庭環境はまた別の意味で修羅でした。双方共に大変ですがひとつ大事なことは、

    苛める方は勝手に己の意思でやり放題、苛められる方は自分の意志と関係なくやられっぱなし、
    どちらが悪いかお分かりでしょう。

    重い内容もありますので改めてご返事差し上げます。

  3. 杉の子さん。(非公開コメントです。)

    おはようございます。
    同じ県内で起こったことなので、つい長々と書いてしまいました。
    杉の子さんはご自分のブログでちゃんと応えてあられます。
    蒸し返してしまって、コスモスの方こそ申し訳ありません。

    間違いだらけのコスモスの文章に、これだけでも礼を欠いて居ります。

    お蔭様で孫の「アレルギー紫斑病」の方はこれまでの検診の結果は陰性です。
    働きながら育児にも家事にも従事している嫁が一番気苦労をしていると
    思うのですが、なんとか一家で楽しく過ごしております。
    男は黙ってサッポロビール・・・ではありませんが、杉の子さんのお便りを
    励みにして、今日も一日頑張ります。
    ありがとうございました。

  4.  杉の子さん、コスモスさん。

     寒い日です。朝から雪が降り、うっすらと積もりました。10時ころから小雨となり、雪が溶けました。しんしんと、冷えます。「八幡炎炎記」を読み終えて、杉の子さんのブログに来ました。

     いじめの問題は、重くて、深いですね。いじめそのものは、いつの時代にもありますが、ややこしくしているのは、戦後の教育であり、日教組の先生達でないかと、相変わらず偏見が捨てられない私です。簡単に言いますと、いじめは悪ですから、いじめた子供を叱ればよいのです。軽いいじめなら、「弱いものいじめは、やるな。」と叱ればいいのです。ひどいいじめなら、いじめた子供の頭をゴツンと殴り、「殴られると痛いだろう。人の痛みを知れ。」と怒鳴りつければよいのです。

     左翼の人権思想がまだ行き渡らなかった戦後の学校では、先生たちも本気でいじめに接していました。大人たちにしても、近所でいじめを見つけたら、他人の子でも、お構い無しに説教していました。それがいつの間にか、子供を叱ってはいけない、体罰はいけない、子供の人権を尊重しましょうと、日教組の教えが広まり、「見ざる、言わざる、聞かざる。」の風潮が生まれて現在に至っています。

     「過ぎたるは、及ばざるが如し」が私の持論であり、馬鹿の一つ覚えですが、良い教えも行き過ぎれば間違いとなるのです。日教組にしても先生方にしても、間違いに気づくのが遅いし、気づいても方向転換ができないのです。思想はある意味、宗教ですから、左翼人権信者は、周りが見えなくなっているのです。日本全国こうなっているのですから、これはもう、教育の荒廃ということです。

     スクールガードの例を上げましょう。先日スクールガードの件で、学校と父兄と私たちボランティアとの打合せ会がありました。中年の男性が、強い口調でボランティアの人間を非難しました。
    「スクールガードの人間には、生徒を怒鳴りつける者が入る。」「親だって子供を怒鳴らないのに、他人がどうして偉そうに叱るのか。」「学校は、実態を把握しているのか。」・・・と、まあこんな具合で大変な剣幕でした。

    「よく調べまして、今後はそんなことがないよう注意します。」教頭さんの答えでした。どうして子供が怒鳴られたのか、その原因はなんだったのか、そんなことは話題にならず、親の剣幕に押されるまま、弁明するだけの先生たちでした。

    「俺の家の前を、子供たちが道いっぱいに広がって歩くんだ。」「毎日そうだよ。自動車だって通るし、危なくてしょうがない、第一他人にも迷惑じゃないか。子供に邪魔されて、歩けやしない。」「人は右、車は左なんてこと、今の学校では教えないのかな。」

    「親も親だよ。子供と一緒に歩いているのに、注意もしないし、親同士がおしゃべりして、道をふさいでいるんだ。」「だから俺、ちゃんと交通ルールを守れ、そんなことじゃダメだって、怒鳴ってやったんだ。」

     当日の懇談会に欠席していた仲間の一人が、私に鬱憤をぶちまけてきました。空手の道場を経営しているのか、それとも世話役として面倒を見ているのか、彼は年齢より若く見えます。要するに彼が原因だったのです。
    「そうか、そんなことをいう親がいたのか。」「残念だったな、その親父と話してみたかったな。」

     彼は笑っておりましたが、これが現状です。だから私も、彼と同様に、子供達には遠慮しないことにしています。
    「こらあ、二列に並べ。」「車に注意しろ。」「さっさと、歩きなさい。」

    でも子供たちは、てんでに話しかけてきます。「おじさんの名前は、なんですか。」「おじさんは、お爺さんですか。」「爺いだな。」「爺いって呼んでいいですか。」憎めない可愛い子供たちです。

     しかし私は日教組の信者である先生方に言いたいですね。「こんな何も知らない子供に、何が人権ですか。そんなことを言う前に、しっかり躾けることが先じゃありませんか。」「人権を言う前に、社会人としてのルールを教えることが先でしょう。」「それをやらないから、可愛い子供が道を誤り、節度も礼節も知らず大人になり、他人を攻撃することしかできない人間になるのです。」「ちょうど今の、貴方たちのように。」

     コスモスさんに負けず、私も長くなりましたね。杉の子さんのブログなのに、礼儀もわきまえず喋ってしまいました。私も、偉そうなことは言えません。すみません。

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