年齢を重ねると見えて来るものがある、それも漠然と過ごしていれば
素通りするが、胆力を養うと心の底が目に現れて、そして語り始める。
私は近日来務めて相手の目を凝視する、穏やかな微笑を沿えて瞬間
目の奥を覗き込む、性格は勿論だが今この人は何を思って居るか
おぼろげに私の心にストンと落ちる。
だから人間は面白い、心の伴わない薄情な人間の目、相手を思う真心
の目、ひとりでに目が語り始める、私はテレビに映る政治家に教材を
求めて探求した。
政治の世界にうんざりしている昨今だから、個々には触れないでおくが、
目は口ほどにものを言う、まさに正論である。
同じ鋭い目のように見えて、武道家とイデオロギ-に傾注する人間の
目は当然その光りは違う、武道家の目は澄んで鋭い、もう一方はまさに
・・・。
みなさんも試しに相手の目を覗き込んで見て下さい、分かるかな ?
まかり間違っても、誤解されて半殺しにならないよう学習の相手を間違
わないようにしてください、それから精神的に不安定(個人情報保護法?)
な人は試さないほうが良いでしょう ?
仮にも誤解されて絡まれた場合、相手をなだめる技量がないと変な騒動に
巻き込まれます「君子危うきに近寄らず」仲裁の出来ない人はやめる事。
若い頃に、これが身についていれば人間関係はさぞや面白かったと思う ?
流した涙も代わったものになった筈である。
先日、久しぶりにお逢いした少林寺拳法の浦田先生について、合気道の
K先生が語っておられたが「浦田先生にビビッと来るものを感じました
凄いですね」 私はその言葉が十分に理解できるような気がする。
ちなみにK先生は、合気道6段、県の副会長を務めている。
このK先生も将来合気道の高みに昇華する人格者になられるだろう。
私は、浦田先生の佇まいに、テレビにしか拝見することのない、合気道開祖
植芝盛平先生を感じます。
達人は、その目配せ、動作に置いて、動から静の人に昇華するのではないで
しょうか。 私ごときが言い表せる名人ではありませんが。
名人達人の目は、まさに心の鏡である。
「少林寺拳法大範士 九段位 浦田武尚」少林寺拳法のみならず武道界の宝である。