広告
雑談

無関心とは  無責任の始まり

昨日は久しぶりに同僚A先生とお茶会を持った。

緊急の法律相談が生じたので連絡を取ったら気持ちよく
逢うことを了承してくれた、
というところで名のある馴染みの喫茶店で落ち合った。

人生の落とし穴、順調に行っているほど人間は油断する、
弁護士事務所から弁護士数名連名での通知書が届いて
私に緊急の連絡が来たのである。

弁護士に相談する前に彼の博学を得たいと思ったのである
が、実はそれ以上にしばらく有っていない彼とのお茶会を
希望したという次第である。

要件は早めに済ませて国内から国際情勢に渡っての情報に
話題は移り、博学の彼らしい薀蓄が披露されてノメリ込む。

今頃の社会人に衆議院選挙の事、鬼気迫る世界情勢を聞いて
見ても、真剣に身を乗り出して聞く姿勢を見ることはない。

生活に追われて、それどころではないと言うのが本音だろう、
考えてみれば、その生活も日本の平和、安泰が有ってこそと
の認識が欠けている。

まあ、人それぞれだからそれも良いかで今までは過ごして
来られたが、これからの日本と世界はそうはいかない ?
好む好まざるに係わらずその渦中に巻き込まれることになる。

自分中心主義がどんな結果をもたらすか、平和ボケで来た付け
が日本人ひとりひとりに背負わされることになる。

知らぬ間に悪魔が忍び寄り、社会全般に浸透している、我らの
組織の名簿一つとっても、個人情報云々で取替えの沙汰である、
私は、これも国民を自縛させる窮屈な?ものと受け取っている。

声をあげない無関心が、何時の間に我が身の自由を縛る、子孫への
無責任、子らの幸せの束縛に繋がらなければ良いがと危惧している。

朝鮮半島危機一髪、アメリカの意志と弱小国家の抵抗図のみならず、
今、世界は未曾有の災難の瀬戸際に立たされている。

A先生のお見立てと私の考えは若干の相違はあるものの、事態は急
展開を見せて終末に向う、そこにあるのは明か暗か ?

歴史は繰り返す、それとも新たな歴史の誕生か、私は唯無言を選ぶ。

サクソフォンでのアニー・ローリーをお聴き下さい、

 世界に争いがなくなる日は来ないのでしょうか ?
 搾り出すサクソフォンの音色に時を忘れる男がいる、

 人が恋しいのに、縋れない寂しさ、音楽にあの日を想う、

 人間とは、かくも悲しい生き物、
 サクソフォンに我が身を重ねて、その過ちに頭を垂れる。

選挙一色、世間の関心がマスコミを含めてそこに集中する、
その裏で、北東アジアの核戦争の脅威が取りざたされる。

私は、だからこそ、この日本が例え敵対していた人でも
限りなく愛しく守ってあげたいと思うようになった。

「同じ日本人ではないか、他国に蹂躙される命であっては
ならない、良き人生が続いてほしい」・・・と  !?

アニー・ローリー

YouTubeで ご覧下さい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告