しあわせは何処に
世の中には、これでもかと不幸に見舞われる人がいる、
反対に、生まれてこの方、苦労知らずで過ごす人もいる。
私達はあくまでもその人の表面的な面しか見えていない、
真実は、当人のみが知るところである。
( 羨ましいな ?) と密かに羨んだ事もある、だが、後日
相手の家庭事情が判るに及んでそれが幻想だったことが分る。
それほど、人間の幸せな尺度は計り知れない。
経済面だげで見ると本当の幸不幸は分からない、真の幸せは
精神面の充実に有るのではないか !
経験を積むほどにそのように思えるようになった。
ある時、ある場所に、人も羨む女性がいた、私の子供時代と
青春が明暗を繰り返していた頃の話である・・・
寒気の中に、青空が広がっている、
暗と明
悲しみと喜び !
苦労と幸せ !
それは、皆平等に貧乏だった時代の小さな田舎の物語である。
私の育った家は田舎のメインロード、海岸線の海端に在った、
元の家が火災に遭って祖父母と父母が苦労を重ねて再建した
家だったのである。
我が家から、なだらかな勾配を登って中腹に母の実家は在る、
子供の頃は、何かあると母に付いて実家の伯父の家に通った。
その途中、狭い田舎道に寄り添って当時では豪奢な入母屋造
の家が広い庭の中に建っていた。
この家に当時日本女性としては長身、美貌のお姉さんがいた、
品のある綺麗な人だった、着物の繕いをされているようだった。
今と違って裁縫を教える専門学校やお師匠さんが弟子を持って
仕事をされる等華やかな職業の世界だったのである。
「綺麗だな !」 そこを通るたびに私の子供心は高鳴った、
この人は、どんな男の人のお嫁さんになるのだろう ?
子供心にそんな想像をさせるほどその人は美しかった、
尚更、母の実家への使いは胸躍らせるものだった。
純真な子供に尊敬の眼差しを与えるその表情は優しかった、
ある頃から、その人の視線の中に私の存在が生まれるよう
になる、何故なのか ?
私に、10歳違いの次兄がいる、後々母の実家へ養子に入る
事になるのだが、当時は我が家のイソロウに甘んじていた。
その人が兄のことを気に掛けていると言うものだった、
そんな噂を風の便りが運んで来た、
女性の私への視線はそんな女心のいじらしさを表していた。
その人の身内に裁判所に関係する偉い人がいて、それが為に
縁談の敷居が高いと言うのが村の人々の話すところだった。
何かの用事で会話の機会がおとづれた時は、天にも昇る心地
だったのである、
「綺麗だな!」 だけだったのが「優しいお姉ちゃんだな!」
が追加された。