約束の歌 病気なんかに負けるな !
京都行きが迫ると俄然メールのやり取りが増える。
当初の予定人数に変動が出る、年齢を考えると仕方がない。
我々はお膳立てを黙って見ていれば良いが当事者の幹事役は
計画変更で大変である。
数年前道後では、私達が幹事役だったので既に経験済みだが
当日、彼らの労をねぎらいたい。
同級生も随分様変わりした、前回の出席者から欠員が増えた。
あれほど元気だったのに「物言わぬ人」になって、かの国へ
一人旅、この見送りほど切ないものはない。
「二十四の瞳」小豆島の子供達ではないが戦後の貧乏を乗り
越えた仲間たちである、隣に座った仲良しも病床に伏して
欠席を余儀なくされた。
その内の一人は日程が終わったらサプライズで見舞いに行く、
出雲大社の同級会で砂利道を肩を並べて幼き頃を語り合った
「幼き日の君と僕」 I・K Kちゃん ! その人である。
先般出欠席を問う私の電話に力なく言葉を落とした竹馬の友、
中学集団就職組、かけがえのない友、1年竹組さんである。
今日は大阪の後輩に連絡を取って段取りを話し合った、私の
変遷を見とってきた弟分、「予定に合わせるよ」 との返事が
返ってきた、道順を確認の為友の住所を知らせてくれと言う。
電話口の糟糠の妻は友の人生を支えてくれた九州の女性、
この奥さんに私は是非ともお礼が言いたい。
初回の伊勢神宮の参拝に参加の気持ちを断念した友を、鼓舞
して参加させてくれた愛妻その人である。
大阪は、もうひとりの竹馬の友が包丁を握った板場修行の街、
後年は北新地と中之島に店を構えて大阪の人々に愛され男に
してもらった恩義ある街、私が頭を下げたい感謝の都である。
亡き友への約束の歌、
村田英雄の ♪ なみだ坂 が琵琶湖のホテルに響き渡る !
みんながんばれよ ! 病気なんかに負けるな !?