あるカフェーコーナーのテラスの席で私たち2人は向き合っていた。
爽やかな風が頬をよぎる晩秋だった。
同席の彼は捜査機関の若手刑事、確か30前だったと思う。私とは同郷の気心の知れた幼友達、同級生の従兄弟でもある。
「Sさん、見えなかった! 避けれなかったんよ ?」
蹴りがどこから来たのか ? 咄嗟に顔面に入っていた、だから端正な男の鼻はそれで若干曲がったのである。
空手の伝統流派で段を取り大学では別の武道で黒帯、いわば硬派中の硬派 ! 他の者に一目置かれた学生時代、そんな彼が進んだ組織の空手の稽古で捻られたのである。
私は相槌を打ちながら彼の話を聞いていた、自分の敗因を悔むより相手の技量を讃える彼が偉いと思った。
今のように芦原会館を興した芦原初代館長の進化させたサバキが認識されていない時代の話、サバサバとした表情で話す彼の清さが私は嬉しかった。
因みに彼は大学時代に一度も倒された事がないというのが自慢だった。
現在、フルコン流派で名指導者の地位にある師範がまだ若かりし頃、師の代わりに出稽古に出向いた時の話である。
芦原道場初期の頃は自前の道場もなくジプシー空手に甘んじていた、飯沢、浜本、二宮、久保、中元、その他多数の道場生は師の厳しい稽古に歯を食いしばって付いて行った、
その稽古を時折眺めた私は彼らの上達をこの目で見続けていた ! だからフルコンがどれほどの空手か知り得たのである。
二宮、久保、中元クラスに敵う大学空手はいなかった、通用しなかったといえば良いだろう。
伝統流派と新興のフルコン空手、それぞれ長所と欠点がある、直線的な動きと変幻自在の動き、志す者のこだわりで選択すれば良いと思うことにしている。
ひと昔前と違って今は結構それぞれが交流している、私の親しい空手マンでも仲良く研鑽している若手が多い。
若い頃は腕試しのために元気者達にちょっかいを出した者もいたようだが腕が上達するほどにその血気は内に秘めて治っていった。
習い始めの若者達ほど実戦を経験すると高揚心で自慢話をしていたものである。
昨夕、少林寺拳法の神野 敏 五段から電話を頂戴した、先般、依頼していた浦田先生との日程調整の話だった。
合気道六段、大学の後輩が 「浦田先生は他の人と違います、オーラーが凄いです!」と感嘆した。
名人 浦田武尚九段。
私達の手の届かない高みに登ったお人である。
心良くお招きいただくことになった、感謝しかない。
久しぶりに佐田岬の風に吹かれてみたい。