あの時
人間の歩んできた過程を振り返ってみると「あの時」という分疑点が
あることに気がつく、
勿論、「その時」は気がつく由もない。
分かっていれば足を踏み外すこともなく失敗という言葉もありえない。
これが人生のままならぬところ、どうにもならぬところなのだと考える。
先が見えないということは、だからこそ、面白いともいえる。
過去を振り返ることで未来が見える、
経験から導く確率という予想、それは運勢の世界で見られる。
あの時、こうすればよかった、避ければよかった、なのに・・・?
悲しい人間の所業なのだろう。
武士社会の主従の関係、合戦での勝敗の分かれ目、采配ひとつで
世界が暗転する非情。
歴史は、何と皮肉なものか、喜ぶものがいて悲嘆にくれるものがいる、
その違いは、ほんの些細な判断の違いから生じる。
地球上で君臨する人間の傲慢は、いつか終わりを迎える時が来る、
それは、地球自身の命の終焉に依るのか、宇宙人の出現による悲劇
で終わるのか ?
他の動物の犠牲の上で君臨した人間どもに天罰と言う形で現れる、
私は、そのように見ている。
あの時、こうすればよかった、悲劇は避けられたのに、だがそれは
空しい戯言にすぎない。
結論は覆されない、事実の足跡のみが残っている。
人間の生き様に、見事に現れる性格、
分かっていたはずではないかと後悔する人間関係、
離合集散の人間社会、だからこそ、面白い人間模様、
泣いて笑ってもこの一生、だったら笑って暮らせば良いではないか。
人生は、博打、あの時。あの時、 凝縮された一生に何を見る。
今日もまた、生きるための戦いがつづく、勝者が居て敗者が居る。
しかし、どこにも属さないグレ-ゾ-ンの人たちが居る。
笑ってみている無関心が居る。
人生はだから面白い。
あの時、ああしたからこの幸せがある、そう思える人生でありますよう
あなたのために祈ります。
この平和が、何時までも続きますように・・・
あの時。