孤独死
重苦しくて誰にでも起こり得る悲しい現実である。
現に私の友人、田舎の先輩、後輩が、ある都市の片隅で孤独死を遂げた。
その友は亡くなる10年ほど前に田舎へ帰郷した折、私の店へ寄ってくれて遅くまで飲み明かし、その後、深夜営業のお茶漬屋で語り合った。
彼は風俗の仕事からヤクザの世界に入って行った男だった。
地方のヤクザ者が一目おいて恐れる巨大組織、彼が断片的に話してくれたヤクザの世界・・・
彼の兄弟分はヤクザ史に残る抗争事件に登場する名のある男だった。
その彼を今振り返ると、勢いに乗って街を闊歩した虚勢の時代から、次第に世代交代に切り替わる端境期に差し掛かっていた苦悩の時代だったのではないだろうか ?
彼は、普通の商売人である私に詳しくその世界の話をする事は避けた、竹馬の友を大事にする彼の侠気がそうさせたのである。
田舎の友から彼の死を知らされた、妻や子供と別れてホテルの一室で死を遂げていた、最後の日々に彼は何を思ったであろうか ?
華やかなりしヤクザの世界、それは享楽のひと時であろうか ?それとも明日の命も知れぬせめぎ合いの狂気だったか !誰にも看取られず彼は死出の旅に出た。
警察からの連絡で田舎に住む兄さんが迎えに行った、亡骸は、父母の眠る菩提寺の墓で彼は静かに眠っている。
それから随分後、中学まで彼と一時代を築いたKが後を追った、奇しくも同じ墓地で彼らは永遠の眠りについている。
普通の社会人だった後輩は私の竹馬の友の弟、大阪の地で妻を娶る事もなく、人知れずあの世に向かった、学校への通学途中に話しかけた無邪気な後輩だった。
孤独死 !
生活に疲れ、相談する同居人もなく、病に倒れた人間は、この世に何を思うのだろうか ?
幼い頃、無心に遊んだ故郷の山河だろうか ?
優しかった父母の温もりであろうか !
都会の片隅で寂しく死んでいった関係者に哀切の思い切ない。
孤独死は、誰にも陥る さだめ川、行政に見捨てられた弱者、
今一度、あなたの周りを見回してください、
物言わぬ、否言えない、悲しさを湛えた隣人がいることを !
今年もお盆がやって来る、賑やかな花火の火祭りの陰で、石碑の下で永遠の眠りにつく友の想い、私は追憶の思いに頬を拭う。
友よ !
どんな境遇でもお前と俺は同級生、そのうち行く、待っててな !?
孤独死は、私にも、他人事ではありません。息子たちに世話をかけたくない私は、もしも、家内に先立れたら、どこまで一人でやれるのか、頑張るつもりでいます。
しかしその時の死は、貴方の友人のように、哀愁の漂う孤独死でなく、「やっと、来たか。」「もう、思い残すことはない。」という、満足感であるような気がしいたします。
むしろ貴方こそ、そういう最後を迎えられるような、気がしてなりません。若ければ、縁起でもない話でしょうが、ここまで来ますと、未練も、執着もなく、あるがままを受け入れられるような気がいたします。
暑い夏が来ました。
それでも、生きている間は、お互いに元気で頑張りましょう。
onecat01さん、
梅雨が明けると同時にこの猛暑 ! 庭に水などうって凌ぎましょう、
私は、多くの人様から助けられた人生です、そして他人様のために家庭を犠牲にしたことも否めません、
心残りと言えば、家族に苦労ばかりかけたことです、せめて召される迄には孝行してやりたいと思います。
十数年前、死にかけた命が救われました、それ故に命への覚悟は他人様と違って強いものがあります。
阿鼻叫喚のない日本の平穏を見続けたい、反日国家に飲み込まれない日本の平和を願いたい。
今日は、嬉しくも不思議な1日でした、久しぶりにコスモスさんとメール交換中にあなたのコメントが入ったのです、
お姉さんも喜んでおられると思います、三姉弟! 万歳 ! です。