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人生, 思い出

古き良き時代 涙雨

仕事の依頼で某会社を訪問し応接間で社長を待って  いた、窓から見える曇り空が心なし晴れ間を見せた午後のひと時である、私は追憶の日々を思い起こしていた。

昭和が煌めいて、再建の槌音を響かせていた港町、山手の根元にその店は産声をあげた、まだ商店街に活気があった40年代初頭の頃の話である。

いなせな兄にい達が街を闊歩して普通の庶民は端を歩いて何の違和感を持たなかった時代である。

恰幅の良い男伊達、T兄いが自転車に乗って町を見回っていた、いつものパチンコ屋に向かっていた、

「頑張っているか!   困った事はないか  ?」

顔に似合わぬ優しい言葉をかけてくる、さすがT兄い!男が惚れ惚れする、暴対法の気運がまだない時代背景の一コマだった。

水商売を始めたとはいえ、まだ素人に毛の生えた店主にとってT兄は側にも寄れない程の雲の上の人だった。

「お世話になります  !」

彼の嫁さんが店にオシボリを入れている、腰を低くして兄いを見送った「カッコいいな!   T兄い  !」

私は25歳の若造である、その道のイロハさえ分からない、古参の組が解散して対抗していた広域暴力団が関西へ引き上げた後の空白を、T兄達が治めることになり平和が辛うじて保たれていた。

その端境期の港町は、微妙な均衡で平和が保たれていたが水商売の身に客足を選別する自由はない、特に来る客こばまずの因果な商売の時代背景だった。

・・・

中座していた社長が先客の用を済ませて戻って来た、

先程、仕事関係でT兄の長男と知り合いだと分かり、思い出に耽っていたのである。

想定外の話しが語られた、長男は故郷の老舗会社の娘婿の座にあって後継者として事業を継いでいた、遊び人の世界とは無縁で事業に専念して実績を上げていた。

その時代でも不釣合いな程義理固く熱い父親だったが、血を引いた長男にその片鱗を見る思いがした。

まるで兄いがそこにいるような不思議な錯覚を覚えた、父親を思い出すと苦労知らずの帝王学かと勘違いしたが ?

先代社長の躾は厳しかったようだが見事に辛抱して花開いていた、やはりそうだったか流石親父の血を引いている !

「親父を懐かしむ男がいますよ!」その旨伝えて私は会社を後にした。

たとえ親父はヤクザでも世間の偏見に耐えて真っ当に生きている人もある、私はその事が嬉しかった。

車のフロントガラスに涙雨が落ちて来た、いや! 嬉し涙か ?

「Sよ!ありがとう!  元気でやってるか  ?」

恥じらいげに自転車にまたがったT兄が  「よう!」   と  !手を上げて目の前を通り過ぎた !   又、幻を見たようである       !

行政書士になる前の古き良き時代の港町、世間知らずの若輩者は人々の薫陶を得て一人歩きをする、謹んで失礼をお詫び申し上げます    !?

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