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日本

てんやわんや  やだね

てんやわんや 

若い者の生意気さと壮年者の狡さはどちらがダメですか ?どちらと言われても困るが敢えて言えば壮年者の狡さをあげる、人生の何たるかを知った身なのに清さがない。

それに比べて若者は無知ゆえの礼儀知らずだからである、しかし現代はネットによる世情、知識の吸収で彼らの方が常識を備えて来た。

市町村選挙、私の住む市も市長、市議選挙が無投票で決まった、今朝、ある市議候補の後援会長と電話で話したが、彼の話は私も同意するものだった。

「Sさん、礼儀も知らない者が当選してどうするのよ ?」彼の嘆きと憤慨は狭い地域のことゆえに納得するものだった。

終盤(あれ! いやに候補者が増えたなと思っていたが締め切り間際の届け出があったことを知る。

私の推す現職は全然心配はいらなかったがそれでも直接市民に投票を依頼したものである。

選挙、国から村から、そこには人間の性(さが)がもろに見える、こんな人がと訝る候補者を見て、日本の国の劣化を感じざるを得ない。

(大丈夫か日本 !) お墓の下からご先祖様の嘆きが聞こえてくる。

船出して間がない菅総理に日本学術会議の問題は果たしてどんな結末になるのだろう、藪蛇なのはどちらか、

若者と壮年者の比較ではないが、こと国の行く末に関わることなので良いお落としどころが見つかればよいが、国民の眼は学術会議に否定的な声が多い。

さて藪蛇は、元も子もなくなるのはどっち ?

この問題も含めてひとつひとつ隠された事実が明らかになる、日本社会の劣化を見せつけられる、それ以上に利口者の人間性が赤裸々に暴かれる。

茶番劇でもある、私の予想は解体、民間での再出発、そこに行くような気がしてならない、損をするのは誰か、作った側が趣旨に反してからめとられる愚  !

程々にせんか ! と注意していたことがある、ところが見事にブ-メラン、

その内明らかになるだろうが、取り締まる側の役人がつい出来心、否、執着し過ぎたゆえの勇み足、困ったことだわいと静観の態である。

獅子文六の小説てんやわんや、ではないが、さて千秋楽はどうなるか ?

後味の悪い悲喜劇になりそうである、やれやれ、だから言ったじゃないか    !?

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