友へのメールを送って、私はその場所を離れた、まるで西部劇の荒野を彷彿させる広い駐車場が私の憩いの場所、誰にも邪魔をされない別天地だと自負している。
その後、やり残した除草を行うため目的地に向かった、平日だと言うのに珍しく予定は入れていない、穏やかな山並みが心を洗う、空を漂う雲が何かを説いたげにゆっくりと北へ向かっている。
土と草との対話、雑草だって生きている、もっと生かせてよ!そこまで行くと心が痛む、草原で繰り広げられる弱肉強食の世界は私が最も辛い見たくない悲劇、抵抗むなしく食される草食動物の悲しみは言葉でさえ表現できない。
この今、人間の世界にだって密かに行われている非道 !普通に生きる人間どもに目を向ける余裕、哀れみの情は感じられない、日本政府の人道の罪への意識は世界に対しても恥ずかしい。
いつから日本人は卑怯になったのであろうか ? 善悪の物差しさえ経済の為に打ち捨てる有様である、文武両道の世界は、文人が指導するようになってから均衡が破れた。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」 日本人がずっと昔に捨てた概念、世界に自慢できる矜持を失って久しい、どこへ行く日本よ、拠り所皇室が揺れている、毅然とせよ、宮内庁と政府よ、何を恐れる !
私が密かに注視する官公庁がある、最後の砦として機能する筈である、「日本をなめるなよ !」言葉は時代じみているが、本音で思う国民は多い。
核まで行くとそれはアメリカ任せ、日本独自では手も足も出ない、なのに自公は打つ手がないし打たない、何を恐れるか、なぜに野党に遠慮するのか、政治の不信が自公の衰退を呼び込んでいる、先の選挙を見よ !
自民大敗、国会論戦の厳しい野党の追及、立ち往生の閣僚に助け舟を出す政治家不在、それが反転すると「ここはどこ ? 何っ!国会 ! ばかな !」それほどまでに特定野党の追及は眉をひそめる有様である。
自民党政治、その議員の迫力は、対反日国家への対応に見事に現れる、睨まれたカエル、怯えるガゼル、国の為に是々非々なしは去って貰うこと、今回の政治劇が(選挙) いみじくも表している。
国民は強い、自己主張のできる政治家を待っている、反日国家に迎合する政治家は、「要らない !」と判断を下したのである、自公よどうする !
民主党政権、あの悪夢再びはNO ! この合唱のあることも現実である !?