雨脚の強い雨が降っていた、昭和の日の朝はくつろげる癒しの日、私達が尊敬の眼差しでこうべを垂れた昭和天皇を思う日である、祭日は些か寝坊した私に大好きな雨のプレゼントで幕を開けた。
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青く輝く地球が下方に小さく見える、急に私のいる場所がそこに向かって急降下し出した、地球がクローズアップされて、さらに日本列島が大写しになる、どこに向かうのか私は不安になって来た。
現実とかけ離れたパノラマの理由が分った、どうもドローンのカメラのせいのようだ、覚悟を決めて任せることにした、リアス式海岸が迫り、ある場所に着地した、其処には採り入れの終わった蜜柑畑が広がっていた。
愛媛県八幡浜市真網代、戸数250軒の村落が西日に照らされて静まりかえっていた。
汚れた着物、雨の日に父が編んでくれた藁草履が小さな足に履かれていた、ハナタレ小僧やオカッパ頭の娘達が並んでいた、敗戦という名の屈辱と貧乏に日本国が苛まれていた頃である。
3月の早生まれ、おそ生まれの同級生より1年遅れの差はどうしょうもなかった、劣等感に押し潰されそうな日々が始まった、泣かしい程の切なさ (泣きたい程の辛さ) それは、中学が終わるまで続いた。
なぜ ! 挫折して負けなかったのか ?
貧乏な親を思う心と他力本願に救いを求めなかった我慢一徹にあった。
そして気楽な高校生活へとつながってゆく、自立への確立、扉は開けられる、空手との出会いだった。
今、振り返ると、男の世界だから喧嘩というものは付きものであるが、殴り殴られ、蹴り蹴られ ! その風景が走馬灯のように通り過ぎる。
空手と出会うまでは、何故かほとんど不意打ちで殴られたものである。
面と向かって来ないで、私が横を向いた時、不意打ちで殴って来た、相手の心理はどうだったのか、後年分かったのだが彼らの後ろめたさが不意打ちになったのである、私が絶対にやらない卑怯な手である。
不思議なことに正面向いて堂々とやり合ったことは皆無で、空手との出会いの前と後では全く様相が違って来たのである。
敗戦は日本を未曾有の混乱に陥れて、復興には多くの月日を費やした、貧しい時代がようやく終わりを迎える、我が故郷ではみかん景気の到来、日本全体が昭和の興隆を迎える。
突然身体が振動で夢破られた、上昇し始めたのである、ドローンは雨空に向かって加速した、故郷が豆粒状になって消えた、広い大地の地球が球体になって下方に小さくなった。
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屋根を叩く雨の音がリズミカルに響いて来る、水路の轟音が更に激しくなった、我が部屋に、賛美歌 312番 いつくしみ深きが流れてきた。
人間の業、性 !
弱きものたちが雨の中、背を丸めている !?