時間を手玉に
野球の神様川上哲治巨人軍元監督が選手の現役当時、バッターボックスで投手の投げるボールが止まって見えると言われたそうだが、
合気道の開祖植芝盛平翁もピストルの弾を避けたと逸話が残っていると聞いたことがある、共に時間の概念に根ざす話である。
それに関して桁は違うが私も似たような経験をした、他の名人達人なら更にそれ以上の経験があるはずである。
時間よ止まれ ! 時間が止まる ! 時間を手玉に !
一考察を述べてみる、
私たちにおいても時間について、時が経つのが早い、否遅いと状況によって受け取り方が違う時がある、私の場合は、車を運転して待ち合わせ場所に向かう時、時間の経過が早すぎて「遅れる!」とアクセルを思わず踏んでしまう ?
反対に、待ち合わせの相手を待つのに「遅い !」と苛立つ事がある、過すぎる、時間は同じなのに何故か受け取り方が違うのである。
若い時の1幕である、武道の高段者と手合わせしたがその突き蹴りが速すぎて防げないのである、その後稽古を重ねた結果、同じ相手の攻撃を辛うじて避けれるようになった。
その突き蹴りがどうにか見えるようになったからである、更に鍛錬すると弱いながらも反撃が出来るようになった。
ある夜、街角に差し掛かった時4 ~ 5人の人影が見えた、怒声が聞こえてきたので立ち止まって人影を追うと街灯の灯りに当時の町の兄貴分の姿が混じっていた。
私の目には兄貴分の繰り出すスローモーションの突きが気の抜けたように見えた、相手に当たりもしない、私は思わず笑ったのだが兄貴分はそれが気にくわなかった、後々出会うたびに不快な顔を私に寄越した。
一呼吸もふた呼吸もある間だったのである、手慣れた喧嘩屋なら兄貴分が一発叩く間に2~3発は連打する余裕である、これでは喧嘩にならぬ「ダメだこりゃ!」思わず出た気にいらぬSの笑顔、兄貴分恥をかいたという次第である。
私が密かに研究していること、時間の概念を変えよう !私が何を想像しているか皆さんで当ててみて下さい。
時間を手玉に !?