仏の顔も三度まで
「仏の顔も三度まで」とは、
どんな温厚な人間でも何回も無礼なことをされると怒り出す。
どなたにもそんな経験はおありでしょう、もちろん私にもあります、唯、歳を取るほどに、経験を積むほどに、怒りの度合いが違って来る、打算から許す場合と、大したことないとの自己査定から無視する場合。
人は勝手なもので、良い時は寄って来ないが困る時に限って臆面もなく
頼って来る、分かっていて受け入れる (まあ!いいか ?)
暇つぶしを兼ねる場合もあれば、相手の秘密を覗きたい時もある、善人と悪人、当然、顔に現れるし、都合の悪いことは隠している、金の無心が目的の場合は別の話題を入り口に話し始める、隠しても駄目。
可哀想なのは当に肚の中が見えているのに、回り道して嘘を重ねる、(いつかその報いが返ってくるのに哀れな奴だな !) 私の独り言である。
この文章を見て思い当たる人がいれば、明日と言わず今日の日から考えを改めることです、あなた達がバカにしている聞き役さん達は結構利口ですよ「あれ!昨日と今日、聞いた話し変わっているぞ ? どっちが本当かよ ?」
数年前、ある人にある進言をした、親しい知人の期待する人間との理由で分不相応かなと思わんでもなかったが、あるポジションを進めたのである、あんに相違して礼儀の伴わない返事が返って来た。
これで十分 ? 知人への気遣いは終わった、由である。
これだけでその器と性格が見えて来る、本心から望んだ事ではないので、「ああ!そう !」で終わりにした。
今回、その続きが巡って来る、私の気持ちは決まっている、ガバナンスを大事にする人か、個人の前に和を尊ぶ人か、その選定は出ている。
政治の季節、大乱の世界、足元ばかり見ていると、上から降って来る落下物に気がつかない、危険は知らぬ間に身に迫る、良き友を得よ !
仏の顔も三度まで、
我が身に言い聞かせる言葉である !?
含蓄のあるお話です。このブログを読み、自分のことと思わない人はいないのではないでしょうか。
それほど普遍的で、いつでも、誰にでも通じるご意見です。
「人の振り見て、我が身を直せ」・・こんな諺を思い出します。
たくさんの人のお世話をし、たくさんの苦労をされた貴方ならではの、ご意見です。心して拝読いたしました。勉強になりました。
onecat01さん、
今晩わ、ありがたいお言葉に苦労が報われます、
若い頃は「あなたの言葉はキツイ!」と幾度言われたことか、
今は、その反省からお人好しと笑われるほど控え目にしています、
当然、心得違いの人間からは舐められることもありますが私は意に
介しません、それは多数の人々が真実を見ているからです。
人間だもの、同じ時代を生きている日本人だもの、ここに行くと
許されるから不思議です、たまに辛辣な言葉を吐くのは相手への
いたわりです ( 早く気がつけば良いのにね!)
それよりも健康を害する相手を私は心配しています、気合い!
その他で苦もなく捻られる、そう考えると彼らが愛しくなります。
親の教育の賜物ですね、だから私は腹が立ちません!人を善意に
見るからです、
しかし、あなたには勝てません、私の永遠のお師匠様ですものね。