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思い出

我が愛するギタ- その想い出

私の組織 (士業) の尊敬する同僚であり、又別組織の県のトップに上り詰めたお方に
D先生と言う明瞭闊達な先生がいる。

私にないものを沢山お持ちの先生で、根アカの私でも太刀打ちできない陽気人間で、
交友の中で密かに人徳を盗み撮りしている。

この先生が愛してやまないのがギタ-である、ギタ-といえば私の郷愁に刻まれる
思い出の数々に亡き兄や兄の親友達が居た。

古い田舎の木造2階建て、4畳半の和室に夜な夜な兄貴の友達が集まってギタ-を
奏でていた、けっして上手い技量ではなかったと思うがギタ-を見るのも初めて
聴くのも初めての子供にとって、それは夢の世界での出来事で聞き惚れていた。

そんな影響もあって、私は高校2年生頃にバイトで貯めたお金をはたいて港町で一番
有名な楽器店でギタ-を買い求めた、
卒業後、大の仲良しになるE県下に鳴り響いたH校柔道部主将Kの実家の店だった。

伯父の家に養子に出た兄の後を次いで、その4畳半は私の個室になっていた、
同級生にして同じ高校へ通った従兄弟のEがよくやって来て、二人でギタ-を弾いた
ものである。

♪酒は涙か溜息か ♪湯の町エレジ- は兄達の受け売りだったが、♪禁じられた遊び
この曲は、見よう見まねでよく弾いたものである。
従兄弟Eの得意はハ-モニカこれは彼が小学生の頃より先生、同級生公認の名手だった。

こういう訳で私の人生に占める音楽といえばギタ-が付きものだった、
北島三郎 サブちゃんに傾倒したのも、北海道から東京へ出てきた彼がギタ-片手に
東京の夜の街を流して歩いた逸話を聞くことで更にのめり込んで行ったのである。

亡き兄、サブちゃん、そして故郷がまだカラオケのない時代、その港町には数人の流しの
人たちがいた、25歳で独立開業した私の周りには無法の町が広がっていた。

喧嘩の絶えない夜の町、気配りの日々、その中でギタ-の音色は孤独な男の心を震わせて
通り過ぎた。

ギタ-を愛するD先生を見ると、あの世に旅立った兄や友、その他関係した方々の面影が
偲ばれて胸が震える。

今宵は久しぶりにギタ-の音色の数々、演歌に没頭している、先般D先生から頂いたイタリア
旅行のお土産、白ワインをグラスに注いで味わっている。

D先生に乾杯! 気配りの行き届いたYu先生初め社員の皆様に乾杯! 「ありがとう!」

我が愛するギタ- その想い出” に2件のコメントがあります

  1. ギターの音色につられてこんばんわ。

    ギターの音は私にとりましても青春そのものです。
    禁じられた遊びを弾けるなんて、凄いです!
    あの物悲しい曲と映画はずっと体に刻み込まれています。
    あの三連音符がなかなか弾けなくて挫折してしまいましたが。
    音楽もジャンルを問わずお詳しいのでビックリしております。

  2. コスモスさん、

    こんばんわ、遅くなりまして申し訳ありません、

    私の小動物との係わり合いは、家系の為せるところ、両親の動物愛から来ています、

    そして弱いもの、貧しい者に目を向ける博愛主義を受け継いでいるともいえますね。

    ただ、若い頃は、無茶もしましたので、その罪滅ぼしが転換点でもありました。

    ギタ-は、好きだった兄の面影を偲ぶ面と、孤独を癒す方法でもありました、

    だけど、全く自己流で自己満足の類でしたね。

    ギタ-は、心の憂さの捨て所、日本人としてのアイディンティティを呼び覚ましてくれる。

    御身体、気をつけられて迎える冬を乗り越えてください、今後ともよろしくお願いします。

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