友の死 訂正
本日、午後2時から歌声喫茶最後の模様しが行われる、
女性のN子先生が心を込めて育んだ歌声の集い、経営者の
都合で店そのものが閉店することになった。
ギターリストD先生の最後の舞台演奏でもある、
先般、D先生から直接聞いていたので出席の積りだったが、
昨日の友の死を知るに及んでいっぺんに力が抜けた。
主催者のN子先生には電話で激励等お伝えした。
息抜きに時々出向く公園へ車を走らせた、木陰の下で駐車、
その横の緩やかな土手を下ると湧き出る泉の清流がある、
ひと組の親子連れが楽しげに水辺を覗き込んで戯れて居た。
人の死とこれから向かう人生、私の心は鉛のように沈んで居た、
人生の儚さ、大事な友、病気を挟んで戦友に等しい男の死は、
私の生きる力まで奪いそうである。
小一時間、ぼんやり車中に居たが、仕事の依頼を受けている
馴染みの喫茶店のマスターの元へ車を走らせた。
「昨日の愛◯新聞有る ?」
マスターが直接持って来てくれた、「有りましたよ!」
写真入りの友の死の記事を改めて覗き込んだ、
葬儀告別式は近親者で行い、後日しのぶ会を開く予定。の記事、
友の死に動転した私は、告別式の日時さえ見間違えていた、
ここに、深くお詫び申し上げるとともに訂正させて頂きます。
手足をもがれたような、空虚な心、
彼の分まで生き抜くぞ! となる迄は少し時間がかかりそうだが、
未だ未だくたばる分けにはいかない ?
「S先生、相談乗ってください・・・」
ある方から財産関係の相談が入ったばかり、私の人生は自分の考え
だけで勝手に決められない、困った時に助けられるように誰かが
現れる。
神様が、お天道様が、
「Sが弱気になっているからハッパをかけて勇気づけてやりなさい!」
そのように助けてくださる。
私の不況脱出方法の一種、物事は解釈次第で救われる。
息子のようなマスターが、心配して時々覗きに来る ?
「大丈夫! Sは、殺しても死なんよ !」 カーテンの隙間から午後の
陽射しが差し込んで来た。
そっと遠ざかるマスターの影、日頃と違う私の様子に 彼一流の気配り
泣かせるね マスタ- もう大丈夫だよ ! 有難うね !
よか男たちに囲まれて S は、果報者です。
(みんな、ありがとうね !?」