思慮深くさせる
勝ち負けの勝負事においてこんな指摘を頂いた、勇ましく勝つ側と負ける側の思慮深さについて、個人情報の関係で詳しくは触れられないが、要は負ける側の虎視眈眈と次を見る姿の方が好ましい場合もある。
私は常に負け戦を余儀なくされて来たものだから、敗者の悲哀の面ばかりが強調されて来た人間だった、この女性の指摘に目から鱗の感深いものがある。
敗者の引きづる侘しさ切なさが少しでも救われた思いがしている、心の中で思っていたことは勝者への羨望と越えられない劣等感だった。
こうして逆の立場になると、今回の敗者の胸の内が理解できる、辛いだろうな! 私は事後の懇親会は出席せず早々と退散したものだった。
支持者(投票者) の方が気を使うだろうなと忖度したからである、負け続けの哀しさをようやく克服した感深しと感じている。
その女性の指摘に長年の複雑な思いが払拭された思いがしている、「負けることが人を思慮深くさせる」この言葉は、負け続けだった男への何よりの労りと褒め言葉である。
「ありがとう ! それだけで充分です。」
今回私が受け取った大きな収穫は、敵味方関係なく心を割って話せる交友の広がりを得たことにある。
「話せば分かる」それを踏み込んで実践したことだった、特に若い人たちが耳を傾けてくれたことだった、仲間が増える予感、何よりも嬉しいことである。
思慮深くさせる !?