芦原会館 初代
破壊力
空手の有段者の破壊力は、果たしてどれほどのものだろうか、その物差しとして判断するのは板割り石やブロック割を見れば、ある程度理解できるだろう。
そうなると私が私淑する沖縄空手、極真会館等に見るフルコンタクト空手の試し割りを注目すれば良い、それらを彼らはいとも簡単に打ち砕く。
私の盟友の得意は貫手、1日1,000本鍛え込んでいる、ある時芦原会館初代館長が背中に長いモノを背負った喧嘩自慢に吐いた言葉「切られる前に背中を貫く!」との迫力は言葉だけの威勢ではない、彼の稽古、試し割りを見て来た私は、やるだろうと理解した。
ことに臨んで剛毅な彼だが一面細心な気配りの人でもあった、私と2人きりの4畳半で「負けることはないが、もし看板を取られたら手段選ばず倒す!」 と手製の手裏剣をかざした。
(彼ならやるだろう!) その後の彼の武勇伝を聞くほどに私の想い出に彼の勇姿が現れる、絵も言えぬ笑顔で私に問いかける、実に素直な愛すべき男だった。
確かにお互い22歳か24歳の多感な年頃、現代空手のカリスマとの出逢いは、私の人生に強烈なインパクトを残してくれた、男の武勇だけではなく繊細な恋心の一端も垣間見せてくれた、素晴らしい純情な面を想い出の彼方に印象付けてくれたのである。
好漢芦原、眼はすわっても、純情を兼ね添えた男伊達!ホロリと来る胸の内、逢いたい「本当はどうなのよ?」 聞きたいこともあった、秘めた想いは ?
唯私は思い出の向こうにそれらを封印して初期の弟子たちだけに心を見せる。
良い時ばかりではない、無責任な世間の噂話で相反したこともある、だが出会うとお互い声をかけあった「漫画見てくれた?」 私の長男と彼の長女は同じ小学校の同級生、2人は共に人の子のお父さんになっていた。
我を抑える勇気、戦う勇気、それらを彼は併せ持っていた、空手道の手足は凶器、それらをよく理解、分かっていたのが芦原英幸 初代館長だった。
松山市の表玄関JR松山駅の側に彼の思いのこもった城が完成した !
芦原会館 初代 破壊力 !?