肩で風切る男たち
今を遡ること昭和も30年代、男の住む港町は組み関係の組織は警察権力の前で解散を余儀なくされていた。
社会、その土地の一般人にとって喧嘩の絶えない土地だが命まで心配するほどの恐怖の荒野ではなかった、警察が力を持ち組織人間を押さえ込んでいた時代だった。
柔道全盛で空手人口は極端に少なかった、その知名度が向上するのは極真会館芦原英幸(後の芦原会館初代館長)が八幡浜へ降りてからである。
夜も帷が降りる頃、港周辺は言うに及ばず街灯の照らす街角に肩を怒らせた男たちの姿が散在した、
必然的に飲み屋のお姉さんたちが寄り添って自分たちの店へ誘引していた、横を仕事帰りの一般女性たちが肩をすぼめて足早に通り過ぎた。
怖い港町の夜景だが、平和が均衡にとれた長閑な港町だった、港岸壁の側に東京駒沢大学空手道部を卒業した住職の次男坊が寺を継ぐため帰郷した。
彼を含めて20歳前後10数名の若者たちが空手の稽古に汗を流して私もそのうちの1人、粋がる時代の兄ちゃんだった。
稽古の帰り、港から国鉄Y駅に向かって当時では幅の広い幹線
道路が東に伸びていた、そこの道路の端を道着を肩に担いだ私は歩いていた、左後ろから人影が横切った( だれ何者?)
当時土曜の夜の風物詩、東映映画深夜興行に活躍する、高倉健と見間違ういなせな男が藤純子お竜さんかと錯覚するほどの美女を従えていた。
私は声も出ず、2人のシルエットを見送った、男は誰 ? 女は? 老舗の名門、〇〇組が解散して港町は愚連隊まがいの連中が闊歩していた時代だった、「カッこいいなぁ」 素人は感嘆した。
そんな時代のいなせな男と女、私の印象に今に至るも染み込んでいる、
その数年後、居酒屋を開業した私の店に、その男が数名の元気者達とやって来た。
既にお互いの存在は認識していた、無口な男だった、連れの男たちの話を黙って聞いていた、その後街ですれ違うと私の方から会釈をして彼は照れ笑いをして応えてくれた。
男の後ろ姿、生き様は違っても、!その後ろ姿は語っている、!
「頑張っていますか?」 「お兄さん!家庭持ちましたか?」
浜から海から男の香りが風に乗って港町の空を舞っていた。
元気でいますか! 幸せですか! 私は歳をとりましたが、あなたも ?
・・・
あの時、左後ろから人影が横切った ( だれ何者?) ・・・
私の憧れの美人歌手
哀愁海峡の 扇ひろ子 だったと 今でも 思っている?
肩で風切る男たち !?