猟奇映画と現実
若い頃に見た洋画には結構猟奇じみた映画が上映されていた、
現実離れした殺人、作り物の映画だと思いながらも肝を冷やしたものである。
特に夏の夜、恋人同士、アベックでキャアキャア言いながらいちゃついていた。
映画だからの気休めで恋愛劇の予定コース、海の向こうから流行はやって来る、現実が後に続くとも知らないで。
アメリカの犯罪は、しばらくして日本に波及して来る !猟奇殺人が一般化する狂気 ! やはり異常としか思えない。
様々な犯罪の骨子は一般市民には理解できない、そもそも余程の事件性がないと衆目を集めない、他人の悲劇に目を背ける冷淡、高学歴、高度成長とともに人は心が冷めて来る。
拉致問題、幼児への虐待、殺人に至らないと近隣住民さえ気がつかない ?
「隣は何をする人ぞ?」 江戸の下町、貧乏長屋の庶民生活さえ懐かしく思えるとは何と皮肉なものか ?
我々凡人が想像さえできない人を殺める殺人事件 !犯罪者にとってどんな心境になれば人を殺せるのか ?その心には悪魔が巣くうとしか考えられない、理解できない。
免罪でない限り、その罪に服するのは当たり前のこと、ましてや殺人事件での死刑判決なら順々と従うべきである。
なまじか弁護士という職業に猟奇的な説明を見受ける異常、冤罪に導いた裁判官が非難されなくてはいけないのに、その弁護活動の弁護士に違和感を覚える昨今である。
子殺しの風潮、子殺しの伝播だけは防いでもらいたい、児童相談所改革が急がれる、心の伴わない公僕に托する不安を払拭せよ。
猟奇映画と現実。
猟奇殺人、これ以上日本へ上陸させるな !?