私が人と相対する時、何故平常心で臨むか、白無垢で話せるのか、お話ししましょう、それは有力政治家の父上の思い出に行き着く。
私が未だ中学生の頃だったと思います、政治家、官僚、総理大臣すら、その前では緊張するほどの偉い人がいた、畏れ多くも皇室関係者でない事だけは述べておきます。
置かれた環境のわりに見るからに猛々しい人で、辺りを睥睨して恥じない小憎らしいほどのお方だった。
人間は、未来永劫はない、分限者、金持ちのままで一生を終える人も多くはない、しかしその人は晩年に至っても雲上人のまま生涯を終えた。
私が注目したのは、私達の目にとまる全盛期の姿形から病気養生に入る時代の変遷にある、あれ程憎々しかった人が痩せ細ろえ、田舎の何処にでもいる老人に変化する様だった。
人間は、どんな人にも老いは来る、厳しい現実でした、私達にも経験した事ですが、虐められた相手の哀れな晩年の姿を見た時、形容し難い感慨を覚えることがある。
あんなに憎かったのに、仇を討ちたいほど腹が煮えくりかえっていたのに恨み辛みが氷解する、その後の虚しさ。私は、それを日常にも感じるのである、「罪を憎んで人を憎まず」
余程殺人鬼が目の前に立てば別だが、「許す許される想い」
この心境になって来た、良いことか悪いことかは自分で判断しないが、人は何を思われるだろうか ?
たくさんの人と巡り合って多くの事を学んだ「我が人生に悔いはない」
夜汽車の切符は、未だのようだが、ひとりでぶらりと旅に出るのが好きな私である、見送る人もなく、田舎の閑静なプラットホームから、荷物ひとつ抱えた男の姿が消えた。
「北へ」私ならさしずめ「東へ」
東京恋しや ! 二十歳の青年が恋い焦がれた東京、旅へ!
久しぶりに彼の地を思い、彼の人を想う、男よ泣くな !?