何度不思議と云う言葉を使ったら良いのだろうか ? 私のブログに出てくる言葉の数のことである。
「年寄りの智恵」 若い頃良く耳にした言葉だが、 その頃には分かる筈も無かったが、今になれば よく理解するようになった。
歩いた道を振り返れるように歳の数だけ分かって 来る、 それは若者達には見えない未来が年寄りには過去の 出来事として見えているのである。
不思議だな ? だが、ひとつの世界に身を置いて、人との付き合いが 狭い人はこの限りではない。
たくさんの出会いと経験した者が良く見えるのである、 そこは危険だよ、その考えは危ないな ? それを聞く者が真摯に受け止めるかどうかによる !
こうして考えると捜査関係者の苦労が分かるような 気がする、経験則と常識に裏打ちされる苦悩が。
勿論多く経験した年寄りであろうと独善はよろしくない、 人生は多面性の世界、あなたと私は同じではない ? 別々の道を歩んだじゃないですか、違って当たり前 !
そこまで云うとなにやらこんがらかってくる ? 私は子供の頃からお年寄りが好きで、良く耳を傾けて、 「年寄りの智恵」をたくさん学んだ子供だった。
寺子屋の小僧とも言える、近年日本古来のシキタリと 常識が廃れて行く、捨てられていくと云う言い方が的を 得ているかも知れない。
このもどかしさは何だろうか、ふっと立ち止まって考えて 見た、そうだ子供の頃に帰ってみよう。
不思議な感慨が湧いて来た、「良心と云う言葉」今の世の 中に良心という基本が廃れていくのに気がついたのである。
人との会話にも良心を疑うことがある、儚さがつのる ?
一度、あの純真な昔に返って見ればよい、 良心を失い如何に汚れた垢にまみれているか分かるだろう。
人生はそれこそ迷いごとばかり、「不思議だな !」
蒸し暑い夜の迷いごと、年寄りの戯言は終わりを知らない !?