海峡越えて
遥か西の彼方地平線から長い物が空に突き出るように伸びている、佐賀関精錬所の巨大煙突である。
海峡をまたいで九州と四国、子供心に胸ふくらませる少年達は未知なる異国と希望の明日を想像して眺めた。
大人達は故郷の限界を悟って、未開の大分を目指した、大分、別府方面には敗戦後のアメリカ進駐軍がカーキー色の軍服に身を飾ってジープを駆けた。
見すぼらしい日本人の前に「ジスイズペン!」が現れたのである、天と地がひっくり返る程の価値観の違い、それは国力の違いをこれでもかと見せつけることでもある。
華やかな中に、埋もれた歴史の女性たちがいた、隣の国と違って生活苦の糧を米軍兵士に求めた女性達は終生黙して語らない。
春をひさぐと言う、哀しい生い立ちと歴史の変化の前に何を思ってその後の人生を過ごしたであろうか。
「もしかして ?」私の幾多の出会いの中で、もしかして?そう思わせる おばあさんがいた、あることで知り合い、余命わずかの残り香を漂わせる女性( ひと ) だった。
私の電話を、私の来訪を心から喜んで頂いた女性だった。
良い悪いは別にして、慰安婦として人前に出、悲しみの過去を語る、その憤怒はどこに向けるのかその内面を儚む。
持って生まれた人間の業、相容れぬなら無理して合わす必要はない、自然のままに離れて暮らせば良いのである。
今日の佐賀関の煙突は霞の中に浮かんでいるだろうか ?幼少に友と戯れた我が家の前の磯を思い出す。
尚、精錬所は吸収合併によりパンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所となったが、老朽化が進んでいた大煙突は崩壊の危険があることから、解体、撤去が行われることになり解体工事は2013年(平成25年)5月末に完工した。
九州は佐賀関、巨大煙突、子供たちが唯一大切にした教師でもあった、その残影が記憶から消えることはない !?