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人生

進路、針路 行くべき道は

進路     針路     行くべき道は

高校の担任は、卒業すると松山の愛媛県立果樹試験場へ行けと熱心に進めた、2男3男どころか4男の私を果樹試験場を出て果樹指導員にさせたかったのである、私の将来を思っての親心だった。

この時が運命の別れ道、先生の薦めで試験場へ行っていれば今頃は愛媛県内の蜜柑どころの農家の養子に入っていた確率が高い、今と違っておとなしい私は養子向きの男だったと思う。

農業の推移によれば兼業農家のサラリーマンになっていたかも知れない、松山近郊に住んでいたか、それとも島しょ部で百姓のオヤジで人生を終えたのではないか。

大きな筋目の2回目は、マツダ自動車の大阪へ採用が決まっていたから、青山大学空手道部卒業そして帰郷したAちゃんの誘いがなければ自動車産業の会社員になっていただろう。

そうすると私の水商売は有り得ず、まず大阪人間として大阪弁を操っていた、なにわ男の成れの果てだったのか   ?どちらにしても現在とは似ても似つかない男道に進んでいた筈だ。

大阪は、川高名番長Mが和食の道を邁進していたから、何らかの影響で武道の道へ進んでいたと思う、因みにMは東京のプロボクシングジムで良いところを行っていた。

別れ道、このように全く別の道に進んでいたなら、杉の子ブログに登場する武道家や一生の友とは出会わなかったということになる、そうするとどちらが良かったか、悪かったか  ?  結論は出ない。

見も知らぬ人との新たな出会い、その代わり今の人間関係はなかった、こう考えると袖すり合う人、人との出会いほど縁を感じるものはない。

齢とともに縁をありがたく受け取る私だが、こうしてみると人に生かされていることがよく分かる、別れの余韻、迫り来る我が運命、感謝にたえない、自分の過程を振り返ると感無量になる。

人生の別れ道、複雑な人間模様が鮮やかに浮かんで見える、人生とは、予測のつかない曲がり角、不思議ですよね、まず子孫が全く変わる。

農業に携わる人間か、平凡なサラリーマンか   ?

いずれ社会の歯車の一つの存在であったと思う、それとも芸能界の裏方辺りに進んでいたかも知れないが、まず理数系はないだろう  !

宇宙の神秘と言うが、いやいや身近な我が身にこそ神秘が広がっている          !?

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