荒ぶる海 父と子 その砂浜
1974年、松本清張原作 松竹映画 野村芳太郎監督 による「砂の器」は、日本映画史に残る感動を生む名作となった。
雪の積もる冬の砂浜、荒ぶる海のたもとを父と子の2人連れが歩いている、古い百姓家と思われる家の戸口が開いていた、2人は藁にもすがる思いで入ろうとしたが家人の老婆は驚いて戸を閉めた・ 親子2人の表情が切ない。
この映画の良いところは主役の加藤剛はじめ刑事役の丹波哲郎その他渋い脇役の名演技に負うところが大きいが、私は加藤嘉の父親役を称えたいと思う。
丹波刑事に息子の確認を迫られる父親加藤嘉の演技は映画史に残る名演技と尊称されるだろう。
苦楽をともにした息子をかばう父の絞り出すような声は観客の涙腺を緩めて尚である、他の俳優と比較してもあのような演技のできる人はいない。
現在、You Tube に「砂の器」を観ることができます、是非観てください。
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私が生まれた四国の海辺の村は戦後、芋と麦を生業とし、夜は四つ張という小さな手漕ぎの舟で漁に出た、漕ぎ手数名の舟である、どうにか生計を維持できるだけの貧乏な村だった。
戸数250軒の麦畑が海に覆い被さるような地形、市の中心から20キロ程度、当時、その距離( それ以上 ) を歩いて物乞いをする「へんど」(お遍路さん)と言われる人々がボロの衣服をまとって歩いて来た。
各家で食べ物の残り物やわずかな金をもらって回るのである、当然のように優しい言葉で語りかける村人はいない、無言の内のやり取りを子供達は目にしていた。
ほとんど歳をとった男のおへんどさんが多かったが、その中で2人の母と子がやって来るようになった、今振り返ると母親は30歳から40歳の間、男の子は4~5歳であろうか ?
この母と子は、それまでの「おへんどさん」と比べて気性の激しい人で、村人の心ない言葉に荒い言葉で反応した、次第に村人は2人を敬遠するようになった、村人は母親の精神状態を噂して避けて行った。
当時の世相は、どこも貧乏をしていた関係で貧乏人への保護政策は皆無と言って良かった、まだ村人は優しい方で市街地の住民になると結構冷淡な人が多かった。
だから冷たい扱いを受けたのかも知れない ( 私の後年の想い) その反動もあったのではないか ?
終戦後の私達を取り巻く環境は全てモノクロ、ネガティブな世界、振り返る過去にポジティブな希望は想像できなかった。
映画「砂の器」今一度、銀幕の俳優さんに逢いたいと思う、みなさん素晴らしい演技をしている。
海原から吹雪が押し寄せて来る、ボロをまとったあの母と子、そして銀幕「砂の器」の父と子、あれは戦争の落とし子、あの悲惨さを繰り返さないために日本の備えは必要不可欠です、備え無き者に狼藉者は襲いかかる。
砂の器(1974) 松竹株式会社・橋本プロダクション第1回提携作品。
映画「砂の器」ダイジェスト 松本清張
監督 野村 芳太郎
原作 松本清張
脚本 橋本 忍
山田 洋次
出演 丹波 哲郎
加藤 剛
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