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世界

アフリカへ向く後輩の想い

若い頃、海外青年協力隊でアフリカへ赴いた後輩がいる、彼の信念は職場選びの前にアフリカの子供達への思いが優先した。

祖父は名校長、父親は地元のイケズ達が一目おいて尊敬した人情教師、私の同年輩の悪達がこぞって称えた名物先生だった。

後輩は果樹農家の農業後継者、自然と組合に拠り所をおいた、希望を叶えるためには最適な職場だったのである。

私が彼を評価して尊敬するのはその足跡を彼から直接聞いてその困難さを知ってからである、明日をも知れぬアフリカ大陸の貧しい子供達、彼の手になる写真集を見てその感深くした。

私では逆立ちしてもできない、静かに対面する彼の胸の内に去来するものは何だろう   ?

若い頃空手に熱中した私は、相手と対面した時、まず相手の目を見る、その心の動きを読み取るのである、一瞬で突き又は蹴りが来る、

実戦の場になると場合によれば相手の手に刃物が握られている、まさに狂気の世界、その経験が彼の語るアフリカのイメージと重なって見えた。

油断が命取りの世界、しかし、私の経験など子供遊びの世界、予告なき暗黒大陸は私の想像を越えて、彼を過酷な世界へ引きずり込んでいた。

組織の支店長で定年を迎えた(そのように理解している) 彼は、従兄弟の私の同級生とともに果樹栽培農家として後継者を牽引している、その従兄弟は元名組合長、コロナが終息したら逢いたい男達である。

澄んだ瞳の男を見る機会はそうそうあるものではない、相対する時の心の臓の高ぶり、武道家の中では何人か遭遇したが、年下の男では希少な存在に違いない、彼のアフリカ望郷に耳を傾けたいものである。

私が密かに尊敬する弱者、貧者へ眼差しを向けるティチャア   S・K    !

故郷にいて尚彼の心はアフリカの地へ向いている。

「昨日まで元気にいた子が今朝起きたら死んでいた  !」それが貧しいアフリカの悲しい子供達の現実だという、私は胸をつかれた、目に涙を滲ませて後輩の彼は不憫な子供達を偲んだ、私は黙って聞いていた。

飽食に明け暮れた日本人の心の緩み、世界の各地で子供達の悲劇は終わらない、

アメリカ大統領選挙で明かされた幼児の拉致と売買の実態は果たして暴かれるだろうか   ?  

両親から無残に引き裂かれた子供達の運命はたかが拉致で済まされない、救出こそ人類の責務である。

鳴りを潜めたアメリカだが、驚愕の事実が明かされる時が来る             !?

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