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人生, 思い出

青空が目にしみる

青空が目にしみる

のどかな春日和、懐かしい街道をひとり旅とシャレる、十数年ぶりに記憶を頼りながら走る街道筋は晴天の下、多数の車が列を作って走っている。

前には無かった道の駅、受付の女性担当者の笑顔が素晴らしい、先般ブログで手厳しい指摘をしたので些か面映ゆい、言わなきゃ良かった、後悔先に立たず。

人間て不思議なものですね、雨や嵐の日の運転は気も滅入るが、こんな晴天の下では心の底から晴れ晴れしい !

それと何かしら見たことのあるような風景に、故郷の道を思い出す、学生時代の砂利道からアスファルト舗装道路に変貌した田舎の道、不思議な感慨に浸っていた。

故郷と共通なのはみかんの畑が紺碧の海と交互によぎること、懐かしい景色に我を忘れて魅入っていた !

追憶の彼方から野良仕事の親父の顔がオーバーラップする !当に親父の歳は越してしまったのだが、寡黙で物静かな親父が微笑んでいた「頑張れよ !お前ならやれる  !」そう言っているような感覚だった。

死んでも霊魂は存在する、私が何事かに遭遇すると、必ず支えを感じるのである、ほとんど可愛がってくれた婆ばだが、物静かな親父とお袋の気配も感じるのである。

それを支えと糧に私は力を貰う、有難いことである、兄弟姉妹の中で一番目立たなかった私だが、物静かな中に芯を感じたのか ?両親から心配されたことがない「Sは放っておいても心配ない !」

そのように思っていた節がある、私は人を頼らない、特に金銭は人をあてにしないし甘えない、この信念は誰にも負けない。

親の貧乏と苦労を見て育ったから、他の兄弟のように甘えない、ただ、亡き姉の長男だけには弱みを見せた、一番好きな姉だっただけにその甥には男の弱みを見せて助けて貰った。

償いと恩返しは姉への供養、私の残された数少ない忘れ物である。

私は交友関係に比例して忙し過ぎた、だから肝心な身内を後回しにしてしまった、大事な昨日の忘れ物、これから遅すぎた恩返しを心がけたい。

お天道様が見事な青空をお見せになって、あの忘れ物を思い出させて下さったのである。

青空が目にしみる、心地良い余韻を残して帰途についた、唯感謝です             !?

青空が目にしみる” に2件のコメントがあります

  1.  これまでで、一番素晴らしいブログでした。

     飾らない貴方がいると、思います。貴方への敬意を新たにするとともに、応援いたします。

  2. onecat01さん、
    「青空が目にしみる」
    農業高校を卒業する少し前、担任が私に果樹試験場へ進学させて、みかんの指導員(技術者)になることを進めてくれました、ところが母から家を手伝ってくれと泣いて懇願されたのです。
    私は家の犠牲になることを選びました、西の彼方に大島、さらにそのずっと向こうに晴れた日に九州の佐賀関の煙突が見えました、九州への憧れは青春の挫折の中に芽生えたのです。

    悶々とした青春に眺めた青空は私にはセピア色、その悲しみを救ってくれたのが空手道でした、数多くの押忍たちが私を目覚めさせてくれました。
    私の弱者への思いと、育ててくれた日本を愛する情念は、こんな「何くそ!」から生まれました、苦労続きだった父母への愛は、それは国への愛、涙こぼれる祖国愛です。

    だから私の日本大好きは筋金入りです、誘惑、悪に強い我慢強さは、故郷の空、セピア色から来ています、そうしてあなたとの出会いがありました、私が九州を焦がれた末に宝物の友が出来たのです、感謝しかありません、あの笑顔を思い出すと胸震える思いです、これだけで充分です。

    日本を狙う敵性国家、それに与した売国奴、自民党も(その中にこそいるのですが?)
    尖閣に火の手が上がったら、躊躇なく外患誘致罪の適用を発するべきです。
    「青空が目にしみる」 うれし涙でのことなら最高ですね。コメントに感謝です。

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