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思い出

汝の名は ?

私が24歳の頃、5ヶ月の入院生活を終えて自動車教習所へ大型免許を取りに行ったことがある、そこで指導している指導員には教えるだけの先生と検定員と言う試験官がいた。

外で見ると全く分からなかったが、この世界にも歴然とした上下関係が有ったのである。

指導員を見下して自分たちの優位性を誇示する井の中の蛙がいたのである、私の男気が湯気になって立ち昇った   !

指導員採用試験を知ることになる、仕事の狭間に立っていた私だったので「よし!  そんなに検定員が偉いのならやってやろうじゃないか  ?」

年上だが同期入社が私を入れて3人、その内、私が最も仲良くなったのが大相撲T部屋に弟子入りしていたが事情で引退したAさん、現在に至るも交友が続いている兄貴分だった。

県の試験場での指導員試験は私だけが合格、ふたりよりも先に先生になって指導を始めた、その自動車学校で私は破天荒な指導員として歴史に名を刻まれた筈である。

始めは猫を被って横着な検定員の横暴を眺めていた、指導員のやるせない愚痴を聞いても黙っていた、その後、いじめが私に向くのだが、その前に1人シカトされる検定員がいた。

他県から来ていたB先生、優しい先生だった、検定員数名の仲間外れにあっていた、それでも彼は控えめに彼らの輪に入る事はなかった。

後から知るのだがB先生は、少林寺拳法の有段者だった、勇を内に秘める男だったのである。

ペコペコしない私を小憎らしいと思った連中は生徒を指導中に言葉の嫌がらせをする「S、ポールを倒したら直してオカンか?」生徒に聞こえるように罵倒した  !

ある時、彼らの側にへばり付いた茶坊主が暴言を吐いたのである、「S!」(年下なのに呼び捨てにした  !)

「風呂を焚いておけ  !」助手席から肘を窓枠に乗せてなめ回すように恫喝して来た。

彼の授業終了を待って、その車両の側へ行って声を掛けた・・・「今何を言った? 気に入らんのなら気に入らんと言え ! 勝つとは言わんが、負けるつもりはないぞ !」

彼は足早く検定員の輪へ急いだ、告げ口に走ったのである !しかし、彼らから文句の1つ言われる事はなかったが、年老いた指導員が忠告してくれた「横着だと言っているよ  !」

「文句があるなら陰で言わずに直接言えと言っといて下さい !」彼らから返事は帰らなかった。

虐げられた指導員と私は仲が良かった、彼らの愚痴を聞いてあげた、もう頃合いだと思った私に出番が来る、ある時、町のチンピラが乗り込んで来たのである。

仲良しの先輩にケンカを売って来たのである、スクールバスの運転についていちゃもんをつけて来た、事務所は騒然となった、私がトイレから帰ると全員総立ちになっており、3人の女性事務員は震えていた。

刑事上がりのS課長だけが、毅然と対応していた   !

後日談 !

その後、この課長が、推薦するからと警察官(刑事)になることを熱心に薦めてくださった、課長は昔気質の刑事だった、懐かしい思い出である。

状況を読めた私は表に出る事にする、頃合い良しと考えたのである、不埒な検定員に私の意志を見せる事にした  ( 見ておけよ!)

チンピラに向かう裂帛の気合は、本当は卑劣な検定員に向ける言葉だったのである。

K高柔道部主将の私の無二の親友Oでも頭の上がらない3級先輩のCが怒りの目で見ていた、この男だけは許せなかった、弱いものを虐めて何がK高柔道部か  ?

この男と町の有力者の弟の検定員2人がこの自動車教習所のツートップだった、しかし、私が店を始めると殆どの憎たれどもは私を応援してくれた、男とは不思議なものよ・・・   !

あれほど私を嫌っていたのに私の応援団になる、今もってわからない。

私の処世訓、本当の悪は、少ないものよ、子供の心が残っていれば、人間とは可愛いもの、されど許されない悪のタネも尽きまじ               !?

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