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人生

我子の泣き顔 忘れるな

さわやかな言葉だった、悩んだであろうに普通に言葉をつないだ、年を重ねて共に掴んだ許可だった、よく我慢したなァ   !

彼の話は私の弧線を震わせてくれた、「一度お茶を飲もうぜ   !」約束してスマホを置いた、「子供のために頑張れよ  !」ここのところは、心の中で呟いた。

彼は新たな旅立ちに向かう、去りゆく会社があれば受け入れる会社が在る、再就職先を紹介と考えたが彼は既に決めていた、一抹の不安は子供の寝顔で吹っ飛ばしていた。

再会を約して電話を終えた、私の過去が脳裏を横切った   !あの時立ち往生した男が立ち尽くしていた、同じ苦悩の人がいる !

「頑張れよ !子供の寝顔と泣き顔忘れるな   !」あれは昭和そして今は令和、時は違えど悩みは同じ 「負けるな!」

私の人生最大の岐路は昭和が終わる10年前、助けてやってくれとの親の願いを素直に聞いたことに始まる、人の価値観は人それぞれ違う、この基本を心に刻まなかった事に行き着く   !

義理人情の如何 ?  我が肉親にはそれが気薄だった、助けてもらったら今度は恩返しを忘れるな  !それができない人間達だった。

自分の家族に我慢を強いて苦労をかけた、失敗から学んだ教訓である、

私の成功への道は、資産家への道は閉ざされた、貴重な時期の闘争心と向上心が身内への失望で沈んでいった、野心との別れだった。

だからその反動で尚更、助けてもらった他人への感謝は深いものになる、

「私は他人様に助けてもらった」その恩返しが逆に生きる勇気となったのである、今回の若者への想いはそんなところから来ている。

肉親との離反が、義理人情をわきまえた武道の師匠、その仲間達との出会いにより、私の性格にも有り得た義理人情の欠如を補うことになる。

私の成功への諦め、金銭感覚の淡白さは、人生への諦めに起因する、寂しい男といえよう、連れ添う家族には申し訳ない   !

私の別ブログ「杉の子のひとり言   キャッチボール」に子供への想いが述べられている。

あの日キャッチボールをねだった息子、それに応じなかった無力な父親、追憶の彼方が私を責める・・・せつない   !

onecat01さんのコメントに涙がにじむ ・・・ 

「息子  よ !!」

我子の泣き顔 忘れるな” に2件のコメントがあります

  1.  杉の子さん。

     沢山のことが省略されたブログなので、読んでいる私には、前後関係がわかりません。しかし貴方の言葉には、面倒な説明がいりません。

     「頑張れよ !子供の寝顔と泣き顔忘れるな !」あれは昭和そして今は令和、時は違えど悩みは同じ 「負けるな!」

     これだけで、私には通じます。夜遅く帰宅し、頭を並べている幼い子供たちの寝顔を見て、どれだけ励まされたことでしょう。あるいは泣いている子供の姿に、どれほど親としての役目の重さを教えられたことか。

     それは令和の今も、昭和の時も変わりません。再就職する人は、貴方の後輩なのか、友人なのか、いずれにしても貴方は見守る人です。義理と人情を笑う者もいますが、日本では大事です。日本を否定する反日左翼の人々は、日本人の心がないのですから、分からないままでしょうが、自分の子供や孫たちには、折に触れ、「義理と人情」の大切さを伝えたいと思います。

     余計なことまで述べましたが、暑さのおり、御自愛専一に。

  2. onecat01さん、
    後に続く文章があるのですが相談事が重なって持ち越しになりました、
    遅くなりましたが、これからデパートに出向いて季節の品を手配する予定です。

    その後、続きを書き入れますのでお目を通して読んで見てください。

    コロナ禍の苦しい世相に、一条の光明 ! 東京オリンピックが勇気を授けて
    くれます、ひと息ついた夕食後、テレビで声援しています。

    物語の主人公は、先般許可をおろしたばかりの許可案件の担当者、息子のような
    好男子、日本は捨てたものではありません、無責任な日本を否定する反日人間と
    違って日々健闘する青年達がいます、大人こそが考えを改めるべきかも知れません。

    「頑張れよ !」
    冬空の下、泣いて涙を拭った、あの日の息子、郷愁を伴って胸が締め付けられる、

    反日国家に日本を蹂躙させてはならない、男達よ、決して日本を見捨てるな !
    選挙の一票で獅子身中の虫達を落選させよう。

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