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友情

片山町の夕日 男の友情

片山町の夕日 男の友情

普段おとなしい友が突然場違いな質問を寄越して来た、「今でも刃物は怖くないか  ?」と言うのである。

何故かと詮索する前に私は彼の目を見て答えた、「怖いよ  !」誤解のないために説明を添えて答えた。

「若い頃は怖くはなかったが、歳をとると身体の反応が遅れる、だから不覚をとる、即大怪我、死ぬものな !」

彼は、それを黙って聞いていた。

少年の頃から周囲と協調するおとなしい人、喧嘩から最も遠い位置にいた真面目人間である、それなのになぜ   ?

その時はあえて聞かないで、いずれ聞いてみようと思った。

ある時、沖縄空手の偉い人が、記者の質問に答えていた事がある、「早くケリをつけること、時間がかかると不利になる!」(勝手に解釈すると、そのような意味合いだった)

人間老化は防ぎようがない、頭では分かっても身体の反応が遅れて不覚をとる。彼の問う「怖くはないか ?」に対して、怖さは感じないが防げるかどうかは分からない、場合によれば斬られるかも知れない。

 だから、そんな場を設けないこと、そんな場を避けること  !

「君子危うきに近寄らず」

武道を極めた人にとって相手の攻撃はスローモーションの世界、だから自由自在に避けられる、刃物でも同じこと、だから怖くはない。

幾多の喧嘩自慢が過信のあまり刃物で刺された、特に酒を飲んで不覚を取った例はいとまがない、酒にはご用心   !

田舎に柔道の強い大先輩がいた、酒が入ると白分を見失って周囲のヒンシュクを買っていた、田舎では許されても見知らぬ都会では通用しない。

悲しい知らせが届いたのは先輩の晩年のことである、普段は子供達にも優しい人だっただけに悲しい思いで聞いた。

若い頃は余裕のスローモーションが歳を取ると瞬間の新幹線のスピードに感じられる、避けられるはずもない、刃物は怖い、危機回避の心構えを失わないこと、意気がらない事である。

先日の葬儀告別式に、故人の弟和歌山のハマちゃんが帰って来た、私のボロアパートで、その後関西でボクシングジムを起こした前会長ロッキーと共に優雅なイソロウ生活を送ったZ君である。

町の不良に恐れられたロッキー、下級生に憧れの眼差しで慕われたZ !この2人は刃物よりも素早い動きの手慣れ者だった、刃物など何するものぞ !

ボクシングジム2代目会長を継いだ息子の育成方法を巡って袂を分かった私とロッキーだが、Zを交えて再開の時が来れば私たちの友情は完結する、

片山町の夕日 !  あの青春の残り火をもう一度見たい、イソロウ君たちと酒を酌み交わしながら、 男の友情に乾杯   !?

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