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人生

朝生田界隈 椿さん

朝生田界隈   椿さん

故郷の港町でスナック喫茶を経営している時、年に一度椿神社へ参拝するのが楽しみだった(旧暦1月7日から3日間行われる例祭)

この椿神社⛩ (伊豫豆比古命神社)は近隣はもちろん関西方面に至るまで商売の神様と言われて慕われる神社である。毎年約五十万人の参詣者で賑わいます。

その憧れの地、居相町の隣町西石井町に私の第二の人生をかけた事務所を設けた、

それまで独立独歩自力で立ち上げて来た私に母が助けてやってくれと、自立心の伴わない肉親を押し付けられたことで、家族に貧乏と痛恨の人生を背負わせてしまった、私の人生ただ一つの悔いとなった。

痛恨の極みである。

これまでか、これまでかと突きつけられた苦悶の日々を迎える、母への信頼感までもが喪失することになる。

我が人生で、この時代だけは、取り返しのつかない汚点となった、肉親への諦めと別れ道になった曲がり角である。

身内への失望感が深いだけ、他人様の情けに泣かされた、他人様に助けられた、この希望の灯はその後の人様への恩返しにつながって行く。

「捨てる神があれば、拾う神がある」私の世間様への感謝の心が膨らんで行く。

「助け合え」と言うのなら、何故!「助けられた恩を忘れるな」と教えなかったのか  ?  母へのたった一つの詰問、母性愛への煩悶となってしまった。

このように一方通行で犠牲が生じた兄弟の絆は、我が家の限界を知ら示している。

私が子供たちへ伝えるU家の家訓、

兄弟を頼るな !  助けるな  !  さもなくばお前達が犠牲になる、努力なき者を助けてはならない   !

そもそも信念のある者は、簡単に他人を頼らない、甘えない、白分をとことん追い詰めて自力で這い上がる、甘えで非力な者ほど人を頼る、私の帰らぬ後悔である。

先日、その舞台となった椿さん界隈を通った、居相、西石井、朝生田あたりを車でゆっくりと走った、悶々としたあの日々が、目の前に開けて過ぎる、

幼い子供達を抱えて肉親に失望した私は一杯のコーヒーに涙して椅子に腰を下ろした、あの喫茶店があの日のままに佇んでいた、今度訪ねてみよう、

努力する者と努力の足らない者、泣かされた者と泣かせた者、これこそ私の信念になる因果応報の世界が待ち受けていた、財産を作った者と作れなかった者、歴然と結果が現れている。

貧乏した親を恨むつもりはない、小さな寒村で子沢山の貧乏暮らし、その無知がこども達に教訓をもたらせなかったのである、無知ほど悲しい事はない。

朝生田界隈、椿さん   !

私の原点、寺子屋がこの街にある   !?

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