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人生

明日に向かって

朝、故郷の姉から肉親の死を告げられた、その日が来たかという感慨だけで悲しみの念が湧くことはなかった。

私が折に触れて肉親との葛藤を語ってきたがその相手の死だったのである、我々は愛憎相反する仲だった、 肉親というだけで私の人生にとって無益な存在だった。

(敢えて害悪とは言わない、それ以上触れることもない)

田舎から外へ出たことのない母親の無知が兄弟の仲を裂いた、私は小さい頃から人を頼らない男、相手は常に人の援助にすがる男、うまくいくはずがない、

最大の不幸は自己の能力をどこまで理解できているか、交友関係の少ない者は我が身が見えない、また比較する物差しがない。

私の経験則→ 交友関係の少ない者とは、距離を置くこと、肉親から教えられるとはなんと皮肉なことか、私の不徳の致すところである。

その姉の報告の後、予約していたある医院へ出向いた、看護師の手当てを受けていると院長先生が寄ってこられた、

7月の父君の死を告げられた、金融機関で出世コースを邁進された勝ち組、私の最大の理解者、私の苦労を陰日なたなく見守って頂いた恩人だった。

院長の話を聞きながら私は涙を禁じ得なかった、院長も気持ち高鳴らせて涙を流した、椅子に座ったまま、涙の流れるまま「辛いなア !」私は嗚咽した。

田舎の大先輩にして従兄弟に連なる親戚、私の憧れにして東京六大学、地元銀行の出世組、私には全て未踏峰の高嶺の花、院長先生、看護師に恥ずかしい姿を見せてしまった。

ふたりの死は肉親他人の垣根を見頃に表している、人間の絆の大切さ!ふたりの死に際して、人間とは、いかに誠が大事か、涙がそれを知らしめている。

私の棘が取れた、得るべきものはあるはずもないが、こころの棘が取れたことで私の人生が動き始めた、否定では、あまりに人生が、儚すぎる  !

貴重な怨嗟の月日と二度と返らぬ労働報酬、ない物ねだっても帰りゃせん!

「石川や!浜の真砂は尽くるとも、世に泥棒の種は尽くまじ  !」

石川五右衛門   辞世の句   

明日に向かって   !?

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