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友情

事なかれ主義

ことなかれ主義

言葉をかえれば無責任人間と呼ぶのだろう、周囲には結構いる、学歴社会、拝金主義の時代だから尚、増えてきたとも言える。

日本古来の伝統、人情主義が音を立てて崩れた要因である、「お前は、ことなかれ人間やの  !」蔑みを込めて呼ばれている。

イジメの場で、腕に自信のない者は助けたくても助けられないが、日頃強気な男が友の急場を救えない、それどころか敢えて無視する根性なし、そんな薄情者は結構いるものである。

学歴優秀組、利害に敏感な出世主義に多く見かける、そこは人情武道派に期待せざるを得ない、長年の人間付き合いの中で面白い方程式が目に入った。

ことなかれ! 人間、それも親子二代、親父とは私が若い頃の話、酒癖の悪い男に絡まれて、ぐっと我慢を余儀なくされた、他の知り合いは私を庇って止めに入ってくれるが、彼は隅でただ無言で見ていた。

傍観というやつである、これは度胸がないというよりも、思いやり情味の欠けた性格なのだろうとは気がついたが、自分の利益にならないと我関せず ! の部類である、だったらこちらも助けることはない、無視すれば良いだけの話である。

人情のない者のために怪我をすることはない、又逆恨みされる愚を冒すこともない、教訓として胸にしまっている。

親子二代、その息子、

責任感の欠如、ポジションを考えれば部下に責任を負わせるのでなく自分が矢面に立って調整すれば良いのである。

周囲を見渡せばいくらでもいる、部下を見捨てる度胸なし、うまく立ち振る舞うツケは思わぬところで身に返ってくる、人の怨念は知らぬ間に忍び寄る。

人の悪口が目的ではない、言わんとするのは、その対極組への賛歌の為である、それら事なかれ組と違って恩情派は、人間の幅を大きく広げてくれる、困った時の助っ人さん! 助けられた弱者はいつか手を差し伸べる人になる。

困った時の人助け、それはいつの日かの己の姿、男のうれし涙が感動を携えて我が身に帰る、因果応報の世界が目の前に広がる。

父を船舶事故で亡くした後輩がいた、母と2人の弟と3人でひっそりと

暮らしていた、スポーツに秀でた男だったが経済的理由で進学を諦めて

家計を助けるため地元の企業に就職した。 

男の友情、コンプレックス払拭は高校を卒業してから花ひらく、だから卒業までに育まれた友情は幼稚な面は残しながらも本物だった。

彼は若くして未亡人になった母の嘆きを見て育った男である。

後年、私の身に不運な出来事が起きた、その時私に声をかけてくれた彼の言葉に私は感動することになる。

「Sやんには、子供の頃から仲良くしてもらった、今度は僕が恩返しをする番だよ  !」電話の向こうで淡々と話す後輩の言葉に私は心が震えた、そして言葉を飲み込んで泣いた。

事なかれの、事なかれ主義のまさに対極の人間がそこにいた、男気とは苦労の中にこそ生まれるもの、仲間の輪の中で黙って控えていた男は、いつのまにか私を乗り越えて大きくなっていたのである。

「ありがとうカク !  友達でありがとう、お互いよく頑張ったなァ   !」

実家の後ろの高台にある鎮守の森 住吉神社の境内が子供達の遊び場だった、目を瞑るとまぶたの向こうに滲んで見える、「みんなありがとう  !」

ことなかれ主義、反面教師   !?

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