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政治

責任感となげやり 冷静であれ

責任感となげやり 冷静であれ

何が怖いかと言って国を統治する指導者の責任感放棄ぐらい怖いものはない、一般的にそれを「なげやり」と言う、そこには常時、権力、軍事力が備わっているからである。

国の規模(経済力・軍事力) の割に他国から怖れられるロシアがそれである、その上民衆の意見を考慮しなければならない民主主義国家と違って独裁国家の特性が危惧を倍加する。

己の生命、権力が失われると思った瞬間、国や世界にとって最も危険な時になる、核保有、核武装が成されているだけに指導者の「なげやり」が怖い。

その危険を除去する手段として政権交代だが、一旦権力を握った者は、やすやすと手放すことはしない、みずから命が危ないと知れば核ボタンに手が行く誘惑にかられるだろう。

他からの除去が最善と言うもののそれもなかなか困難である、本人が察知すれば対抗措置を取られて一蓮托生、共倒れ  !

この世界、我らの住む地球は、困難な時代にがんじがらめにされている、政治に携わる者のジレンマ、誰が舵をとっても難しい、真剣になればなるほど、身が焦がれる。

私は行政書士として仕事に携わっているが司法に関わろうとは思わない、その責任感の重さに自分では耐えられないからである、人生の規範、生き死にへの関与、傍観者ではあり得ないから。

ただ願うのは

「各国指導者たちよ !  健全であれ、投げ出すな!」

責任感となげやり   冷静であれ   !?

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