男たちの挽歌 荒波に揉まれて
この2~3日、朝晩の冷え込みが激しい、半袖から長袖に急遽衣替え、それに連れてトイレの回数が増えた。
今日も早朝から子供達のかけ声がしじまを破る。
秋祭りのおねりが車道を塞ぐ、秋の風物詩に大人も寛容である、何時もは気ぜわしい企業の車列が悠長に通過を待っている。
これなど日本社会の良さに挙げられる他国に秀でた催し、戦火に泣き崩れる明日でないことを祈る。
日曜日なりの予定を済ませて、いつもの河川敷公園へと車を走らせた、10台ほど既に駐車して自分たちの時間を取っていた。
訪問予定の地区の偉いさんは祭りのため連絡が通じない、南予地方の会社経営者A社長から請け負っている仕事の段取りが入る。
予想だにしなかった有る人の近況がもたらされた、私が若い頃故郷で経営していた店へよくご来店頂いていたB社長の近況だった。
夜の商売は酒も入ることもあって、お人好しだけでは成り立たない、そこには好むと好まざるに関わらず喧嘩仲裁の修羅が降りかかる。
そんな店をB社長は贔屓にしていただいた、会社経営とは何時も順風満帆とはいかない、それなのに社長の腹の大きさは変わらなかった。
私が店を閉じて故郷を後にしての苦境は辛くて切ないものだった、次第に故郷の未練を断ち切って行く、人への影響思いも次第に薄めて行った。
B社長との接点が消えた、その社長の消息がもたらされたので有る、事業は子息が引き継いで、発展されていた。
私とA社長の交友を知る由もないのに、B社長との線が結ばれた、話しが弾んだことは言うまでもない。
良い男は良い男を知る !
数十年の時を経て、愛しい故郷が、男たちの再会を喜んでくれた。
さらに物語は佳境に入る、
男たちの挽歌、荒波に揉まれて !?