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友情

友よ 想い出をありがとう

仕事は待ってくれない、しかし何をやるにも空しさが募る、
それでもひとつひとつ約束は果さなければならない。

そんなこんなで今日も司法書士との打ち合わせ、依頼者との
細かな詰め、そして最後は難関の手続きの最終打ち合わせで
締めくくったが、なんともやり切れさがのこった。

友の死の痛手が我が心をうつろにする、一年前に撮ったという
写真が遺影として額に納まっていた。

優しく穏やかな表情を眺めながら不覚にも涙が落ちる、
彼の妻と彼が長年使えた経営者の妻、そして物心両面に支えた
介護施設の女性経営者、彼女は私の高校の先輩でも有る。

2時間余り彼の生前の話に耳を傾ける、私を捨て公に尽くした
人生だった、
おどけた面のあった彼だがどことなく備わった品格はどこから。

それが判明することになった、彼の父は都会の大病院の勤務医
母は関西で大きなお店のいとはん、幼少の頃より送り迎えの
乳母に見守られた育ちだったという、少し上の姉とは人も羨む
仲良し姉弟だったようである。

結婚するまでは貧乏暮らしが続いて、ちょうど私達はその頃
知り合った、金銭に無頓着などちらかといえば淡白な男だった。

三枚目のひょうきんさがあるのに何かしら品格を漂わせていた、
彼は一度も大学のことは言わなかったが関西の有名大学を卒業
していた。

知人が彼の半生を本に書き残すという、彼の妻に一冊欲しいと
伝えた。どんな物語が綴られて生まれるのか楽しみである。

夕闇が辺りを支配して、〇〇住宅の北側の急傾斜が暗闇に包まれた、
海岸線を北に進路を取る、潮騒の音が聞こえるだけで昼間の青い
海原は見る影もない、ライトの灯りに二人のあの日を思い出していた。

闘志は内に秘めて、表はにこやかな表情の男だった。

私にないものを沢山持っていた男でもあった、年齢はちょうど
4歳下、生年月日は同じ月の2日違い、3月生まれ、彼の妻と顔を
見合わせた、気が合う筈だ、だがそのことに触れたことはなかった。

人の縁は別れが来て、その有り難さ、その価値が再認識させられる。
早く気がついていれば、もっと有効な時間が持てたものを。

妻と子供達を残して、彼は両親、たった一人のお姉さんのもとへ
旅立った、忘れてならないのは彼を長年見守りその生活の糧を
与えてくれた名編集長のもとへ向かったということである。

それを伝えると編集長の妻は言葉に詰まって涙に咽んだ。
「あの世でもう、逢えたでしょうか ?」

私は言葉を継いだ・・・
「よく、頑張ったな! よく頑張ってくれた!」 と
「ふたりは手を取り合って再会を喜んだのではないでしょうか。」

人生は、人の縁は、淋しいものですね、ひと皆来るのでしょうが ?
しかし忘れてならないのは、類は友を呼ぶそのエネルギ-は受け継ぐ。

にこやかに微笑むふたりの雄姿が瞼の向こうに浮かんだ・・・

友よ 想い出をありがとう・・・!?

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