人それぞれ
長に選んだことをどう思っているのですか ?
組織のトップに選んだことの是非を筆跡鋭く追求して来た。
それに対して私の横着な性格は伏せて、柔らかな文体で返した、簡単に言えば人それぞれ、自分は適していると判断して押しただけ。
言いたいことは抑えて、前の前任者たちは不適当と思ったから押さなかっただけ、ただそれだけ、
その人間性は、見る人の好き嫌いで右にも左にも評価は別れる、私とあなたの見方は、同一ではない、それは表には出さずに胸に納めた。
自民党の金銭問題が世上を賑わせている、今回は表舞台に華々しいが我ら小さな世界では知る人ぞ知る話がある、私が会長選挙に出たキッカケは、金銭(財務)の透明性公表と納める会費捻出にさえ苦労する会員の為に会費値下げを図ることにあった。
苦労する会員の切なる声は、財務に強い兼業者及び執行部在籍の長い会員に支えられた事もあって頓挫した、だから私は常に保証された上に立つ者への対抗心で月日を数えて来たのである。
武道探求と同じく弱者救済、これが私の基礎基盤なのである、どんなに追求されても、この思い変わらない。
納得させることはないが、納得させようとも思わない、何故なら、あの数年、数十年前に彼らが選んで押した私が反対したリーダーたちをお前たちは押したではないかと、私は未だかって恨みに思って彼らを責めない、責めた事もない。
これが答えである、選挙は投票権利のある会員の自由でいい、ただそれだけ!
私は悪口を言われても、当人が揉み手で近寄ることはあっても、悪口を根に持って、その当人を決して責めない、逆に優しく話しかける、
私への悪口を聞き、そんな相手にも笑顔で接するSをどう見るかは個人の自由である、人が評価してくれる、どうして選んだか ?それを聞く人間の性根がそこには見える。
選ぶトップは永遠ではない、ダメと思えば私は次は押さない、逆に争った相手でも応援する、人間の許容範囲が広いと言うことはそんな事なのである、永遠に甘い支持者と思わない事、私の忠告を兼ねた助言をどう取るか、それはあなたの自由。
国会問題について、少し前のブログに・・・
政治家さんたちがだめなら我々国民が頑張れば良いのです。
人それぞれ !?