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人生, 運命

陽光を浴びながら

陽光を浴びながら我が人生を振り返っている、

不思議なさだめ(運命)を実感して感慨に浸っている、我が人生よ故郷よ、

私の父は3歳の時、子供のいない叔父夫婦の家に遊びに来て、そのまま居残って養子に入ることになった。

まず運命の悪戯は、水飲み百姓の貧乏人の家を無意識とは言え選択したことになる、もしも、イフを言うなら金持ちの身分から苦労の多い貧乏人の道を選んでしまった、親父の寡黙な性格を偲んでまず涙が頬を伝う。

実家での家業を手伝ったなら優雅な弐男三男で生涯を終えただろう、その為、私たちが誕生したのだからそれなりの言い分はあるが、それよりもあの苦労を愚痴にも出さずお袋はじめ子供達10人に分け隔てなく慈しんだ親父にこそ幸せをあげたかった。

私の人生は、農業と漁業双方の世界を歩くことになった、人間関係において特に顕著に気が合ったのである、表面ではおとなしいが勝ち気な面と闘争的野心等が複雑に絡みあっている性格はそんな環境で形作られた。

穏やかな人だった、他人から陰口叩かれる人でもなかった、いわばお人よしの部類の人だった、私はそんな親父を誇りに思って尊敬しいる。

金に執着しない性格は親父譲りである、我々が接する世界では、いろんなタイプの人がいる、有り余る財産ができても、まだまだ欲しい守銭奴が沢山いる、その行き着く先は、本人たちが想像しなかった犯罪の道、哀れだね。

密かに照準を当てる追跡者、苦労している善人達を愚弄する者達を野放しないで欲しい。

お天道様がいる事を自覚させて貰いたい、これが犯罪防止の決め手なのです。

正しく生きた親父への供養でもあるのです。

陽光を浴びながら   !?

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