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思い出

自戒を込めて 感謝 反省 其の弍 

自戒を込めて 感謝 反省 其の弍 

強風の吹き付ける春分の日、昼を過ぎると青空が顔を出した、そして柔らかい日差しが運転席にも差し込んで来た。

優しいクライアントさんから私の報告に対する温かい思いやりのご返事が返って来た、まるで慈母観音様のように。

先日投稿の「自戒を込めて よもやま話」に目を通しているが一番指摘されて反省するのは、この私であることを自覚する。

まず、未熟で若かったな~との思いである、もしも私が今の許容範囲を持ち得ていたら同郷の後輩Cに取るべき道があっ筈だとの苦い後悔である、今でこそ来るもの拒まずの心の余裕があるのにとの反省である。

Cから見て何の価値もない私なら敵対するしないに関わらず無視していた筈である、彼の気持ちを汲んでやれなかった心の狭量が無念でならない。

陰気で無茶な奴との見方は、それだけにしか評価できなかった私の至らなさを責められるべきなのである、

現在の「去るもの追わず、来るもの拒まず!」 の姿勢を彼に

示していたら、彼のその後の人生が有益なものになっていただろう。

私に否定されながら ・・・

ある意味無視されながら、それでも私に寄って来た4歳違いのC!

「本当にごめんよ !」

気立の優しい妻を得て、子供や孫を得ているだろう彼の人生を見守りたい。

胸の奥を見せなかったイジッパリ! それでも田舎言葉で「Yやん!」

と呼んでくれた、彼の胸の内を忖度する。

彼に対する私の反省、懺悔を公園の上に輝く青空を塞ぐように泣き雲が塞いで来た、まるでCの嗚咽が聞こえるようである。

若かったな! 小柄でおとなしい劣等感、私は人肌剥ける二十歳の途上にいた、もう少し時代がずれていたら、2人は絵も言えぬ先輩後輩になっていたかも知れない。

願望を交えた私の後悔である。

自戒を込めて 感謝 反省 其の弍  !?

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