広告
友情

青空が眩しく輝いていた 押忍

昨日のことである・・・遅い朝食を済ませて新聞に目を
通していた、携帯電話が鳴った、いつもの恒例の流れである。

電話の主は、肝胆相照らす友からだった、「Sさん、今日の
昼前頃 時間取れませんか・・時には飛行場へ人を迎えに
行くのですがその前に逢いたいのですが ?」

依存のある筈がない、他の予定を少しずらしてもらうつもりで、
「合わせますよ・・・」と答えた。

彼の息子が社長をしている会社が当地で新しく新店舗を開店する、
私はそのお手伝い、助言をしているのである。

新規開店準備で工事屋さん始め社員が忙しそうに働いていた、
工事は大詰めに来ているようだった。

隣にある、広い駐車場の喫茶店に入った、彼は、ひとり先に来て
待っていた。

心なし、少し歳を取ったな・・・?
高校時代を含めると気の遠くなる月日の付き合いである、お互い
二十歳、空手道場で切磋琢磨した仲間である。

裂帛の気合の若者は、物静かな静の人に変身した、今は、
四国八十八箇所歩きへんろ小屋プロダクトにその想いを掛けている。

話始めて間もなく一本の電話がかかってきた、何やら、遍路小屋に
関する話のようである、その間 私は静かにコ-ヒ-を楽しんでいた。

賛助協力を頂いている金融機関のえらいさん からのようだった、
彼の人脈は広い、とてつもなく大きい、努力の人の果ては、人々から
感謝される温情の人になっていた。

あの若き頃、親の敵に出会ったかのように、先輩黒帯に挑んだ闘魂の士は
世の中の人の為につくす聖人にその立ち居地を代えている。
私が悩み苦しむ時に、思い起こして奮起させてくれる師匠でも有る。

私の終生の師M先生、少林寺拳法のU先生、正道会館四国本部長N師範、
忘れてはならない青春時代ボロアパ-トで生活を共にした関西ボクシング
界の重鎮K元会長等(現在は子息が二代目会長) 薫陶を得た師匠達の存在
抜きには考えられない。

私の人生は、そのほかいろいろな人たちで多彩を極めて来た、これが
唯一の財産である。

私は貧乏人ですと言って胸を張る、しかし、心は分限者ですと頭を下げる。
彼との話は、佳境に入った。

青空が眩しく輝いていた。

押忍。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告