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人生

八幡浜市沖新田フェリー桟橋前「萩森のかまぼこ」

八幡浜市沖新田フェリー桟橋前「はぎもりのかまぼこ」
恰幅の良いその人は寡黙な人だった、最初は何処の人かも分からないで
接待していたが隣の席に居た電気屋さんの職人さんが教えてくれた。

私は事情があって結婚式を挙げておりませんでした、風評被害もあって
頑固で難しい男と世間では認識されていたようです。

空手のみならず生涯の師匠となるA先生との出逢いは二十歳の時でした、
松山から帰っての空手人生の幕開けでした、海際の港町の荒くれ者達や
組が解散した後の無法地帯と介した街角は様々な狼藉が展開していた。

名の通った兄さん達が闊歩する町は夜ともなればそれは危険なものだった、
私の周囲でも、やった やられたと顔を腫らした若者達が盛んに愚痴ていた。

そんな時代に私は喫茶店をオ-プンさせた、その時代の港町は娯楽が少ない
事もあって、喫茶店類の開店は珍しいものでしばらくの期間は満員御礼が
続くほど繁盛した。

その中年の恰幅の良い人は、店から一跨ぎの隣の町内で老舗の蒲鉾店を経営
されていた、名の通った老舗の旦那さんだったのである。

そんな偉い人が又何故と思わんでもないがその時は事情を知る由もなかった、
それが分かるのはずっと後年になってからである。

私の青春はマトモナ話より風評が先行した「儀を見てせざるは 勇無きなり!」
無口な少年時代を過ごした私はどちらかと言えばおとなしい苛められっ子 ?
弱者の悲哀は身を以って経験した男だったのである、その反動が空手にのめり
込むことになる。

「Sさん! 来てや! 助けてよ!」
街中のいろんな喧嘩のとばっちりを受けることになる、そう!喧嘩の仲裁である。
自分からやることはないが挑戦される事は数多い降りかかる火の粉もそれなりに?

だから、良い噂は広まらないで、悪名だけが闊歩することになる、損な役回りだった。
諸事情で行き来のなかった家内の兄と萩森蒲鉾店の主人が仲良しだったのである、
その事情を知る萩森社長、私の家内の身を案じてお客さんとして来てくれたと言う
訳である。

あの寡黙な思いの内を知るのはずっと後年、私が故郷を発った後の事である、物語は
ここで終わらなかった、人生の不思議、お天道様の采配の妙・・・

私の親戚にして同級生 (女性) 美智子・K 彼女は何でも相談できる幼友達でもあるが、
彼女の三女がこの社長の長男と結婚したことで、物語の続編が続くことになる。

この縁が沖縄の素晴らしい女性 Goo ブログ 69歳のラブレタ- コスモスさんへ
引き継がれることになる、「人の縁、類は友を呼ぶ その不思議 ?」

69歳のラブレタ-「一つの花」から蒲鉾のおはなし。皆様どうぞお訪ねして見て下さい。

八幡浜市沖新田フェリー桟橋前「萩森のかまぼこ」” に12件のコメントがあります

  1. 杉の子さん こんにちわ!

    開けてビックリ玉手箱・・・エッ!?タイトルを見てもうすでに記事を書かれている

    素早さに、空手の早技を見る思いです。ブログのご紹介をありがとうございます。

    杉の子さんの大切な知人の方が、手塩にかけて育てられたk甘平とデコポンそして

    職人業とも言える美味しい蒲鉾を遠く沖縄まで運んで頂きまして、重ねてお礼を申し上げます。

    きっと、杉の子さんのブログを読んでおいでになられるでしょうか?

    杉の子さん・・・こちらをお借りして、皆様へ御挨拶させて頂きたいと思います。

    美味しさに比較できない拙いブログ、そして、蒲鉾に至っては、残念ながら写真のご紹介も

    致さずに心からお詫びを申し上げます。

    四国特に愛媛県は私の祖父の出身地です。祖母は毎年四国巡礼の旅に 年の三分の一は、弘法大師

    の88箇所周りを常としておりました。

    きっと御先祖の誰かが、このご縁を結んで下さった気がしてなりません。

    70歳ももう半ばを過ぎた私ですが、杉の子さんより沢山の美味しい果物と蒲鉾を頂いて、元気を取り戻す

    ことが出来ましたので、近い将来には四国巡礼の旅も可能のような気がしております。

    杉の子さんのブログから感謝のラブレターをお届けする失礼をどうぞお許し下さいませ。

  2. コスモスさん、

    >愛媛県は私の祖父の出身地です。
    もしかして私の知り合いに縁のある人が居るかもしれませんよ。
    この頃、出会う初対面の人でも話しているとどこかで繋がる人が居るのです、みなんさん驚かれますが。

    私の無二の親友が数年前の真夏に歩き遍路遣り通して何年か後に今度は真冬に歩き遍路逆うちを貫徹いたしました。
    現在、へんろ小屋プロジェクトの愛媛県代表を務めています、(お遍路さんが休憩される小屋の建設推進)

    少し空手のお話をしてみましょうか ?
    沖縄空手は私の精神の拠り所です、歴史といい、人物といい 見習うことの多い聖地だと思っています。
    「空手に先手なし」素晴らしい教えです。私の周囲に居る高段者は若い頃は実践もやっていたようですが、現在は
    闘志は内に秘めて穏やかな心境になっております、名人の境地になる人は素晴らしい魂を持っておられますよ。

    無用な争いはしない、しかし、国家存亡の危機には身命投げ打って国のために殉ずる、私も含めてみなさん同じです。
    だから靖国神社を尊いものと崇め日本のいやさかを祈る人が多いですね。

  3. 杉の子さん 

    お天気に恵まれた暖かい日です。もう2月も明日限り、3月の声を聞くと、春は数日のみで、一挙に

    夏が訪れます。日曜日の今日は教会で「生年(トゥシビー)祝い」があり、25歳・61歳・78歳・97歳

    の申年の方が4人居られて、心は盛大なお祝いがありました。・・・で、すっかりご返事が遅くなってしまいました。

    杉の子さんのブログを読ませて頂くと、数人の全く違う方が束ねてブログを書いておられるのでは?と

    思うほど、経験豊かでいらっしゃいます。黙って居られたら、きっと今でも同じ人なのか!?と疑いを

    持つほどです。若いときの経験からもいろんな立場の方が頼って相談されるのが理解できます。

    昨年でしたか、情けないことにお名前が記憶にありませんが、青年が沖縄まで空手の技を習得する・・・

    ドキュメントが放映されて、見ていました。平敷屋は柔道が盛んで、甥っ子も小学校から通っています。

    昔から、スポーツには町中で応援し、参観日には行かなくとも、運動会は家族総出で応援に駆けつける

    スポーツ好きの地域です。私も詳しくは解らなくとも、空手も柔道も好きですよ。

    強い男は男性に限らず、女性にとっては羨望の的だと思います。

    健康な肉体に健全な精神が宿る・・・というのは、本当のことだと思っています。

    深水さんも、空手を習っておいででしたね。夫は柔道の方でしたが、若い頃少々と言う程度に習っていた

    ことがあったようです。現在は男性が男性らしからぬ・・・とコスモスばぁちゃんは思うのでございますョ。

    見た目のイケメンさんより、やはり日本男児が魅力あります!

    女性も運動に限らず、動きが鈍くなると、身体に重い(思い)ものがくっついて、良い思考が出来なくなります。

    取り越し苦労ばかりがやたらに多くなり、自重自重と言い聞かせています。

    杉の子さんのブログでは度々、空手に関する記事があったと思いますので、また遡って拝見することに致します。

    「名刺も凶器になり得る・・・」というような記事もありましたよね?

    読解力のなかなか出来ない頭、あと数回は読ませて貰わねばならないようです。

    もしかしたら、夜にもう一度ブログへとお訪ねするかもしれません。

    酒場は誰かさんのお帰りをお待ちしますね。

  4. 杉の子さん まだ太陽が燦燦と照っているお昼間の追伸です。
    これは、杉の子さんだけのお便りです。

    地域の特産品が「もずく」なのです。海人(ウミンチュ)が多く、モズクの養殖で
    1年間を賄っている人たちがいます。
    如何しても、杉の子さんへ感謝の気持ちを表したくて、私からもずくを送りました。
    塩をうんとしてありますので、何度も水洗いして食べてください。小分けして冷蔵庫に
    でも保管して下されば、1年でも平気で長持ちします。

    それから、嫁が郵便局へ行ったのですが、一緒にお孫さんに・・・と甘いものを同封したそうです。
    気持ちだそうですのでどうかお受け取り下さいね。

    そして、小さな封筒にレオさんと同じ、「丸オクラ」の種を入れました。
    沖縄の丸オクラは大きくなっても柔らかく、こちらではこればかり食べます。
    庭の片隅にでも撒いて試して下さい。もし気にいられたら、皆様へ広めて下さいませ。

    私以外は半袖になり、暑いと言っています。
    なんだか踊りたくなるような、明るい日でおめでたい日でもありますが、地域のお祝いは
    3月の日曜日を公民館の寄り合いで決めた日に行われます。

    お知らせまで申し上げます。     ラブレターコスモスより

  5. コスモスさん、
    只今、八幡浜から帰ってまいりました、そのためご返事が出来なかった次第です。
    友の見舞とレオさんだったらよくご存知の真言宗別格本山 金山 出石寺へお参りに行っておりました。
    落ち着きましたらゆっくりご返事差し上げます。
    お嫁さんにまでお心遣いいただきまして恐縮です、尚、甘えさせていただきますが 「もずく」は私の
    大好物です、ありがたく頂戴いたします。しかし、これからは気を使われませんようお願いいたします。

    私の人生の基本は礼節に有ります、スポ-マン及び武道に勤しむ人は、ひとつだけ大きなマイナスを
    背負っていると思います。
    それは対人関係に於いて礼儀を重んじる余り相手の理不尽にも謙虚であるということです、控える胸の内
    を履き違えたばか者が図に乗って嵩にかかってくる、我慢を強いられる、だから損することも多いのです。
    しかしお互い同士の交友は素晴しいものがあります、私と深水さんを見ればお判りになると思います。

    私の空手に対する想いは、身体コンプレックス、学歴コンプレックス、女性への劣等感 全てを払拭して
    くれました、まずどんな難題、難癖に有っても、笑って耐えられる人間にしてもらえたこと、空手のお陰
    です。
    しかし、私は素人に少し毛の生えた程度に空手をかじった人間です、唯 私が自慢できるのは当時は殺伐と
    した若者に過ぎなかった空手家たちが、今では沖縄以外の国内で燦然と輝く名人、高段者になっていると
    言う現実です、その方々との交友関係でどれほど見習うことが多かったか、これが私の財産です。

    私の生涯の師糸東流舛田先生、少林寺拳法の最高位に到達された浦田先生、正道会館四国本部長二宮師範、
    (財)合気会小清水師範、元プロボクシング世界チャンピオンK、ボクシング協会に有って関西のY会長、
    幾多の先生方の薫陶のお陰で私の人生は彩られて来ました。

    忘れてはならない芦原会館芦原初代館長は、彼がまだ食えない苦闘時代に語り合った人でした。

    先生方の若い頃の武勇伝をよく知る私は、「空手に先手なし」は、まさに空手の極意だと思っております。
    日活映画やテレビで活躍する石原プロモ-ション社長 渡哲也さんの青山学院大学空手道部の後輩Y氏とは
    私が「蒙古放浪歌」で紹介した山本氏のことでした。

    内に秘めた闘志、穏やかな常識人、高みに到達した先生方との出逢いは、私に男としての矜持を教えて
    頂きました、これが私の全てです。
    お恥ずかしい話でしたが、コスモスさんに我が身を曝け出してご挨拶といたします。

  6. コスモスさん、

    本日は結構なお品頂戴致しまして有難うございました、私の大好なもずくがあんなに沢山届くとは思いませんでした。
    居酒屋へ行くと必ず注文するほどの好物です、又お嫁さんのチョコレ-ト類もありがたく頂きます、ウイスキ-水割り
    の御つまみに最高です。誰かさんにも早速お裾分けをしたいと思います。

    丸オクラも有効利用したいと考えます、かえってご迷惑おかけいたしましたね、これからはお気遣いなさらないように
    願います。取り急ぎお礼の御挨拶です。お嫁さん、息子さんによろしくお伝え下さい。有難うございました。

  7. 杉の子さん

    こんばんは。2月28日のお便り、杉の子さん、追加のお便りを下さっていたのですね。

    全く持って、今気づいて申し訳ありません。

    杉の子さん、杉の子さんの交友関係は素晴らしい!をいくら連発しても足りない思いがします。

    もしも男であったなら・・・とこれはないものねだりと言うものですね。

    「良書・良き友・良き師」に巡り合える事が、その人の命運を決定する、と言われますが、杉の子

    さんを見ていると真実だと思います。距離では離れていますが、杉の子さんの生き生きとしたエネルギーは

    伝わって参ります。最近元気を無くしていましたので、特にエネルギーの流れを敏感に感じることが出来ま

    したよ。泣く事も一杯、苦しい事も一杯、努力も一杯、誰よりも多く経験されたからこそ、「男は天の働き」が

    お出来になられるのだと思うことです。

    時々ふと、レオさんの広場でお会いした頃のことなどを思い起こして、お仲間に入れていただけたことだけでも、

    勿体無い夢のような話で、これぞ、最もファンタスティックな出来事だったのでは!?と思うのです。

    沖縄では「デコポンも甘平」もまだ販売されていないので、娘の家族も嫁の家族も大変珍しがられて、美味しい

    を連発しておりました。「黒ずきんちゃん」を何冊も買って頂いたばかりではなく、美味しい蒲鉾まで、

    杉の子さんに甘えすぎのコスモスです。なので、少々のモズクに喜んで頂きまして、嬉しいです。

    オクラは花を観賞するだけでも、レモン色のお月様を見てるようで、明るい気持ちにさせられます。

    そうそう、昔はコーヒーがありませんでしたね。で、母がオクラの黒い種を臼で引いて、コーヒーの代用

    として、飲ませてくれました。あの頃は美味しいと思って飲んでいたんです。つい、思い入れがあり押し付けて

    しまいましたが、鹿児島では「オクラの会」という、同人誌まで出しておりました。

    杉の子さんのパワーは、尽きることのない泉のようですが、忙しすぎて、ご無理をなさいませんように

    どうぞ、ご自愛くださいます様に。

    杉の子さんのお気持ちを嫁と息子に伝えますね。今日の日は、お休みなさいませ。

  8. コスモスさん
    心の旅路、コスモスさんの言葉、写真を眺めていると何時か沖縄に行って見たいと
    思うようになりました。あなたの家の近くの海の光景、我が心が慰められるようです。

    花は好きなのに花音痴、花の名前が一致しない無作法、笑われますね。
    ハイビスカス、メイフラワー、ピタンガ、ナスタチウム、 ・・・の手習いで覚えると
    別世界が広がるかもしれませんね? ガサツな青春を送った男の旅支度、良いかもね!

    剛柔流空手、私の憧れの流派です、若かったら門を叩いて教えを請うところです !?

  9. 杉の子さん こんばんわ!

    コメントをありがとうございます。

    私の地域は柔道が盛んです。と書いて、息子に「何言ってるのよ、お母さん、空手だよ。!」

    と叱られました。今日のブログ、杉の子さんへ見て貰う心算で、写真を載せたのですよ。

    花の名前くらいは、コスモスにお任せを!と言いたいのですが、最近は忘れっぽくて、過去に

    アップした花でさえ忘れています。杉の子さんは、何でもオッケ~なので、少しはコスモスに

    「花を持たせて」下さいね。

    それから、「白い色について」紹介しておりますが、深水さんのコメントがあります。

    これは懐かしくて、載せました。これ以後に杉の子さんとお知り合いになり、「白い色の長所」を

    深水さんのブログで「お二人に当てたラブレター」を発信したのです。

    変な特技なのですが、人の色が見えてしまう一種の病でしょうかね?!今では慣れっこで、自分で

    楽しむことにしています。

    それから、杉の子さんはガサツではありませんよ。お二人共にとても繊細でおいでになられます。

    友人と「トータル人生」と言っているのですが、昔はカマキリと姉たちにからかわれる位に痩せぎす

    でしたが、今ではおでぶさんです。

    もしも、杉の子さんが、幼少の頃は弱虫で、女性にもてなかった?のであれば、現在はきっともてもて

    なのだろうと、想像しております。

    杉の子さん、何時かは沖縄へもぜひおいでになられて下さい。沖縄の夏は、本土の人曰く「我慢できない

    暑さだ」そうですが、海の色は夏が沖縄本来の海だと思います。

    沖縄について書きたい思いはあるのですが、住んでみて如何にか理解出来る部分もあり、本当ならば暫く

    沖縄に滞在して頂きたい、そして感じて頂きたい・・・と思うのですが、これも無理な話ですよね?

    それでは、また参上つかまつりま~す。

  10. コスモスさん、

    ところで、ノルウェ-の深水さん、どうしているでしょうね、元気で頑張っていると思いますが、
    深水さんがいないとポッカリ穴が空いたようで何とも淋しい、帰国が待たれます。

    コスモスさんの写真を眺めながら沖縄の太陽を想像すると、子供の頃、家の前の浜へ降りるコンクリ-ト
    の坂道で寝そべって西に沈む太陽を眺めた情景が思い出されます。私の故郷の夏も結構暑かったので、
    共通点があるような気がしております。

    沖縄は、我が県の若者達がZボイラ-(三浦製作所)というボイラ-メ-カ-の沖縄営業所等へたくさん
    駐在して頑張っています、お世話になっていますよ。一度は沖縄へ行ってみたいですね。

  11. 杉の子さん 今晩は・・・。

    思いは同じですね。もしかしたら、息子さんのPCから、なんらかの中間報告が

    あるかも?なんて、期待もしておりましたが、お帰りをお待ちするしかなさそうですね。

    とにかく、海外へ一度も行ったことないので、想像すら出来ません。

    11日・・・と仰ってましたので、後一週間もすればお声が聞けますね。

    私より、杉の子さん・・・大丈夫?!ですよね?

    毎朝、深水さんのブログへと訪問して、朝の御挨拶はしておりますが、日本においでに

    ならないというのは、寂しいものですね。

    歳を重ねると寒いというのは、寂しさに繫がり、暑い気候は気楽さに繋がるように思うのです。

    秋の夕暮れ時などなんとなく、母の懐が恋しいような思いをしておりましたが、沖縄へ来て

    そのような気持ちから開放されているのを感じます。老後には沖縄は大変居心地が良いように

    思われます。

    杉の子さん、 あと一週間ですよ。! お土産話を楽しみに待つことに致しましょう。

  12. コスモスさん
    私は、寒さより暑さに強い男です、たんのするほど(飽きるほど) 手足も凍るお寺の境内で稽古に励んだ
    筈なのに、からっきし寒さに弱いと来ています。(人並には耐えられますが?) だから沖縄が性に合ってるかも
    しれませんね。

    もうひとつ弱いのはマザ-コンプレックス、貧乏だった母親の後姿が切なくて、その母の懐が恋しくて泣かせます。
    男って皆 似たようなもので、息子さんもコスモスさんを思う気持ちは人一倍だと思いますよ。

    もうひとり、そんな男が・・・遠い北欧 ノルウェ-に行っています、深水さん、頑張ってるかな !?

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