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友情

悲しい男の別れ歌  Yよ

少し陽気が出始めたと思ったらそぼ降る雨が心を泣かせる
大事な男がこの世にさよならした。

お通夜は沢山の人が別れを惜しんだ・・・なんて切ないんだ。

Yよ ! 約束は 何処へ 行った ?

平成28年も早4月私は時間の遅れを取り戻すため高速道に乗った、
フロントガラスに当たる雨脚が冬に逆戻りしたように吹き付ける、
伊予灘は悲しみに沈むように目の前を暗くして通り過ぎた。

「何でも言ったら良いと思うよ !」 奥さんが台所に向った後
居間には私と彼の二人だけになった・・・
「言っても良いかの ?」 彼はポツリと答えて俯いた。

薬の副作用が辛い、そんな状態の彼は家族に心配かけまいと愚痴を
こぼさなかった、体の辛さを伝えまいと耐えていたのである。

妻や家族に辛い想いをさせたくないその気持ちは理解できるとしても
それでは治療方針を誤る危険性がある「素直に言ったほうが良いよ」
亡くなる少し前のことだった。

「Sさん、Yさんが朝の〇時〇〇分亡くなりました」義妹から電話が
かかってきた、(とうとうその日が来たか!)

思えば正月の年賀状が異変を知るきっかけとなった、奥さんがある
言葉を年賀状に書き記していた、早速電話を掛けて彼の病気を知った。

発病から2年が経過していた、それも末期〇〇、目の前が暗くなった。
私が自分に言い聞かせたことがある、(最後まで涙は見せるまい。)

憎らしいほどのやんちゃぶりだった、先生達がお手上げのイケズ !
かろうじて学校は卒業できた、その彼が更生して立ち直るきっかけは
ひとえに妻の内助の功であった。

娘ふたりの父親になり、真面目を絵に描いた勤務振りで定年まで勤めた。
「お父さんに良い生活をさせてもらったからご褒美に・・・」
好きな釣りがいつでも出来るように、と、ボ-トのプレゼントだった。

何か心配事があると夫婦で私を頼ってくれた、そして私は答えてきた。
家族同様の人生だった。

お通夜で棺に横たわる彼をみたらいっぺんに悲しみが湧いてきた、
涙がとめどなく溢れて仕方がなかった。

そして葬儀告別式の今日、最後の見納め、みなさんで故人に花を・・・、
私は額に手を添えて闘病の辛さから開放されたことへの言葉、家族への想いを
語った。

雨が故人を偲ぶように、家族の悲しみに共感するように雨足を忍ばせて降り
続いていた。

ともに手を携えた友との別れ、愛別離苦 和尚さんの通夜の言葉が蘇えった。
森山直太郎の ♪ さくら の曲が静かに流れてきた。

♪ さくら(独唱) 森山直太朗‬‏

女学生たちの無垢な涙が美しい
ひとりひとりの心の中に 忘れられない想いでとして
生き続けるに違いない

日本の桜 世界に自慢できる 花
この日本の四季が 未来永劫 平和でありますよう
祈ります

悲しい男の別れ歌  Yよ” に6件のコメントがあります

  1. 杉の子さん 

    心分かち合った方とのお別れ、心からお悔やみ申し上げます。

    先日の「たわいもない話」では、お二人のお話がしんみりした映画の中の

    お話であるかのような気持ちで読ませて頂きました。

    今晩は、深水さんが書かれたことへの「哀しみ」を綴っておいでになります。

    僭越ながらコメントで、と思いましたが、出来ずにいます。

    どうぞ、杉の子酒場でお酒を酌み交わして下さいませ。

  2. コスモスさん、
    今、深水さんへ気合を入れてきましたよ !
    大丈夫です、朝起きて私のコメントを読めば元気がでますよ。

    私の高校の同級生が3月31日 朝 息を引き取りました、お通夜に行ったところです。
    今日、4月1日 午前11時 葬儀告別式です。

    高校時代、全校生に知れ渡った花の番長、私とは終生契りを結んだ男でした、
    「悲しい男の別れ歌 Yよ」 少しづつ すこしづつ 語ってみようと思います。

  3. 杉の子兄とコスモスさん。

     お二人のコメントを拝見し、気持が軽くなりました。「たかがブログ、されどブログ」ですね。言葉は、やはり生きております。心を伝える「言霊」だと、よく分かりました。いい加減な気持で綴っていないから、私は石原氏の作品を評した自分の言葉に縛られ、自責の念に駆られました。
     あなた方お二人のコメントもまた、暖かい言霊として、私の胸に響きました。ありがとうございます。

     さて兄よ。
    強くて逞しかった男の死ほど、悲しいものはありません。こんなにも呆気なく、こんなにも脆く、人は消えていくのかと、信じられない驚きが、悲しみを倍加いたします。死は、厳粛なものです。個人が安らかに眠られますよう念じ、祈らせて頂きます。

  4. コスモスさん、onecat01さん、

    別れほど切ないことはありません、静かに降り続く雨が尚更胸を打ってなりません。
    友の葬儀告別式の親族のご挨拶は、中学の教師をしている長女の夫が勤めました。

    立派な挨拶で友の喜ぶ姿が浮かぶようでした、同級生10名ほどでその後ミニレスへ
    向いまして雑談に興じた次第です。明るさがとりえの男同士、又別の意味でよかったです。

    onecat01さん、石原慎太郎氏の件は、全く気にすることはありません、これからも思う存分
    辛口ト-クやれば良いのです、それでこそあなたの値打ちがある。臆することはありません。

    4月になりましたね、レオさんの広場へ行くと、なにやら6月云々と言っていましたよ。?

  5. 杉の子さん

    こんにちは。まだまだ哀しみのベールに包まれているように思えます。

    かけがえのないご友人との供養が終わりましたら、またお喋りに参ります。

    onecat01さん、

    処女出版した書物は、私の離婚の原因でもありました。今は亡き今江さんと、私の父をも悲しませて

    しまった本です。書いたことは取り返せませんが、それにも勝る得るものもあったはず・・・ですよね。

    私も父を大好きで決して批判したわけではありませんでした。なんだか僭越ではありますが、この時の事

    を思い出してしまったのです。

    ある編集者の方が「書けかけどんどん」とお手紙下さいました。

    私もこの言葉を贈ります。石原ご兄弟は私にとりましても、眩しくて青春そのもの、の方でした。

    可愛がって頂いた詩人のS・Tさんと同級生で、都知事選では懸命に応援されていたのを記憶しています。

    おっとこどっこい!めっ!です。

    最後に誰よりも強い杉の子さんが、いっつもご一緒で、少々どころか大変妬けておりますヨ!

  6. コスモスさん、
    私の近くの土手沿いに桜並木があります、通る度にレオさん写真を撮ってくれないかなと思いながら通ります、
    今日は、雨、桜が身を縮めるように何故か侘しげです、雨よ、もう少し後に降ってくれ、一分でも一秒でも
    桜たちの歓喜の舞いを見せて欲しい、まだ早い夕方、そこを通りますと、ウェ-ディングドレスの新婦さんと
    新郎さん、数名の付き添いの人がカメラのアングルを覗いていました、ドレスをたくし上げる新婦さんの姿が
    神々しかったですよ。「末永く幸せに」呟いて通りました。

    友の死は、やるせない切なさで身を責めますが仕事が多忙もあってひと時の忘れる時間をもたらせてくれます、
    お経を読む住職が、読経の後、短い講話をしてくれました。「愛別離苦」 以前のブログで題名に使った言葉
    でした。 「人生とは、生きるとは、生き抜くとは、そして迎える死とは」それでもがんばらなくっちゃ!?

    onecat01さん、
    私など、ブログを訴訟資料に使われましたよ、散々な目にあいましたがそれも今では懐かしい思い出です、
    それらは一応削除しました、コメントも全部掲載していましたが、現在、関連のものは削除いたしました。

    これもひとつの方法だと思います、気になるようであればそれも有りだと考えれば気持ちが楽になります。

    あなたのブログに関しては削除する必要はないと思います。

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