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日常生活

連休に想うこと 見つめること

昨日、親しいA先生とお茶会でした。

「Sさん、忙しい? 手続きのお願いが有るんだけどやってくれる」
いつもの調子のA先生は、バリバリの司法書士さん。

「大丈夫ですよ、裁判に関した相談が2時ごろまでには終わるので
お会いしましょうか?」

相談者夫婦と街中のコ-ヒ-ショップでお会いして事情を伺った後
弁護士事務所へ連絡して、連休明に相談に伺うことに相成った。

弁護士は留守だったが、馴染みの事務員さんがてきぱきと応対された
ので、相談者の曇った顔がほころんだ、(良かったね)

というところで夫婦と別れA先生と時々利用する喫茶店で待ち合わせ、
先に、依頼案件の書類に目を通して後は楽しい雑談に入った。

世の中は、連休で旅行に出かけるもの、又は友との飲み会に羽目を外す
もの多士済々である。

先ほどの裁判に絡んで悩む人、家庭内の不和で神経をすり減らす人、
連休の賑わいの中にも、人生の縮図、悲しみの連鎖に打ちひしがれる
人がいる。

それぞれの人たちを眺めると、有ることに気が付く・・・
それまでの人生でどれ程の人間関係を培ってきたか 否か ?

やはり多くの人と接して、人のために尽くした人は、こんな時に力強い
援軍が現れる、助言及び助力を得て乗り越えて行く、

逆に、人付き合いの狭かった人は、われ関せずで、人のために汗をかか
なかったことが災いして、逆の立場に追いやられる。
適切な相談者がいないことで、ひとり悶々とする。

だから、より以上の苦しさが襲い掛かってくる。

立ちはだかる難問にどう対処するか、
苦労した人は、難なく乗り越えることも、苦労や我慢の出来なかった
人は、中々乗り越えることが出来ない、絶望に苛まれる。

私は、往々にしてそんな相談を受ける立場に立つ、
私であれば、たいしたことはないと見えることでも相談者は大げさに
嘆いている、(なんだ、このぐらいでへこたれるのか情けない!)

私がそんなに軽く思うことでも本人にとっては荒波に翻弄される苦しみ
なのである。

結局、それまでの人生でどれほど苦労を経験したか、その違いが苦労に
直面して見えて来るのである。

私は、相談者を見て
(ああ! 苦労して良かった、人の苦労が何と小さく見えることか、苦労は
買ってでもせよと言うが、本当だな) と得心するのである。

大げさに騒いでいるようだが、本人にとっては辛い現実、しかし、我慢して
進むところに良き解決策が開けるので有る、
いかに助言者の後押しが有ったとしても、結局本人の努力(精神力)が一番
大切なことは言うまでもない。

そのぐらいで根を上げてどうする、怒りたい気持ちを抑えて助言する、
しかし、場合によれば「甘えるな!」 一喝することもある。

泣いた数ほど、悩んだ数ほど、乗り越えていける、負けるな 逃げるな。

「まだまだ大丈夫、そのぐらいで死にやしない、 渇っ!」

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