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雑談

八幡様の下 市民会館裏通り 杉の子

携帯のマナーモードに数名の着信が入っていた、司法書士A先生、公務員Bさん、
そして同級生C、順番に電話を掛けて要件を済ませた、Cの番になった、彼は
現在地元で老人会の会長さん、明日私の近くにある温泉と劇場に引率で来るという。

参加する人たちの名前を聞くと先輩はじめ後輩等知った名前が次々と出てくる、
昼の食事を誘われる、願ってもないことである、待ち合わせの約束をした。

私が武道に目覚めたきっかけを作ってくれたのもCである、地元では徳農家の
跡継ぎ、南予では有数の進学校を卒業すると県都の果樹試験場に進んだ、そこに
私の高校の1級先輩がいた、控えめなおとなしい先輩だったが空手道場に通って
いることを知った。

「Dさんの蹴りは凄い! 天下一品!」彼が話すのを黙って聞いていた、
(すごいな、あんな目立たない人が、やれば出来るんだ ! 僕も道場で正式に
習ってみたい?) 田舎にくすぶっていた私は、猛烈な勢いで感化された。

数ヶ月足らずして私は家出した、向かう先は親戚づきあいのY家、後に愛媛県の
県会議長になる柳澤正三君の鉄砲町の家だった。 (幼馴染に免じて通称で呼ぶ)
私は、ここの両親に幼少の頃より可愛がってもらっていた、そして甘えたのである。

昼間は大街道の商店に勤めた、国会議員として県内に名前を知られることになる
E女史の親族の会社だった。(後からその偶然に驚いた)

その空手道場は拓殖大学空手道部出身のM師範が教える道場だった、幾多の勇者達と
めぐり合うことになる、しかし、Cが語っていたD先輩はここにはいなかった、別の
流派の道場だったのである。

星雲の志を抱いて道着を小脇に抱えたのは、子規さんが詠む松山城のお膝元だった。
空手小僧の誕生と、友情の芽生え、そして男としてのひとり立ち、拳は正義と言う
芯を背中に入れてくれた街でもある。

先般の道真会館20周年記念パ-ティ-で現役の若い黒帯を眺めてあの青春の日々が
蘇えってきた、男って奴はいいな ! 汗と涙 う~ん いい !  押忍 !?

「バシッ!」 暗闇から不意打ちのフックが飛んで来た、頬に激痛が走った 「何だ!」

杉の子を経営する前は、生涯の師舛田先生との運命の出会いを迎え空手にのめりこむ
ことになる、そして幾多のつわもの達とのドラマ-が展開されて行くのである。

杉の子開店後は更なる殺伐が降りかかってきた。「男とは難儀なことよ ホトトギス!」

八幡様の下 市民会館裏通り 杉の子 愛と友情の物語。 男の物語が始まった・・・

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