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雑談

友よ 別れのヒマラヤ杉よ

「Sさんへの年賀状に一筆書き入れたのが本当に良かったです。」
“お父さんが弱っています” 躊躇するような文字だった !

今日の夜亡き友の新盆のお参りに帰れないと連絡した私に亡き友の
妻は答えた。
正月の年賀状が男の友情のエピロ-グを奏でることになった。

正月3日、急遽見舞に彼の元を訪ねた、穏やかな表情の彼が私を
迎えてくれた、
濃縮された残りの時間が始まった、彼の病は肺癌 末期だった。

子供、孫、姉妹以外は、内緒にしているといった、奥さんの説明を
私は黙って聞いた、辛い時間のタイムスイッチが入った、それは
時間との戦いになった。

彼は、既に自分の宿命を悟って、悲しみを内面に秘めていた、

薬の力を借りる日々でもあったが、彼が偉かったのは苦しみを一切
表に出さなかったことである、後から分かるのだが家族を悲しめる
ことを避けていた。

強い意志がないと出来ないことだった。

しばらくして、家族の精神の負担を軽減するため、私はある提案を
行った、奥さんがひとりで胸に秘める苦しみを和らげるためだった、
近くに住む仲良しの友達夫婦に状況を伝えることだった。

後日、奥さんの妹夫婦、二組の同級生仲良し夫婦と私とで食事会を
開催した、彼とともに高校生活で暴れた友は涙を抑えることが出来
なかった、無理もない余命いくばくもないことを知らせたのだから。

電話で話してもその彼は涙を流した、男の友情、何て切ないんだ。

私は本人に提案した「会いたい友達がいれば連れて来てやるよ!」 

そして二人の友には「同級会するか?」 と伝えたが「今は寒く風邪を
ひかせたらいけないので暖かくなってからどうだろう ?」私は彼らの
意見に従った。

しかし暖かくなるのを待つには時間がない、それまで命が持つ保証が
なかった、同級生に逢わせてやりたいと言う私の希望は潰えた。

最後の日は、家族の嘆きを無視するように早く訪れた、
その前日、訪ねた私は死期が近いことを悟った、彼は薬で小康状態に
あった。

家の前に開ける海、漁船が何時もと変わらぬ出漁準備に余念がなかった、
生と死の狭間、間に横たわる無情を私は痛感していた。

手のつけられなかった悪童が、1人の伴侶に依って生まれ変わったように
良き夫になり、真面目な社会人になった、家族のためにも長生きさせて
やりたかった。

葬儀告別式に何時までも棺から離れず嘆き悲しむ中学生がいた、祖父と同じ
野球の道に進み将来有望視される彼が可愛がった孫の姿だった。

告別式を終えた私の目に、母校川高校庭のヒマラヤ杉がかすんで見えた。

我々の喜怒哀楽を黙って眺めてくれたヒマラヤ杉、別れは余りに切ない。

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