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行政書士

上に立つものは悲しみに寄り添うところに値打ちあり

「先輩、〇〇(B先生)の裁判が〇月〇〇日に有るのだが行きませんか、」
肝胆愛照らすA先生から電話がかかってきた。

「行くことにします、裁判所で会いましょう。」 そして細かな打ち合わせを
済ませた。

当日、裁判所前で抽選用紙に当選して出席ができた次第、
時間少し前に〇〇号室へ入ると傍聴席はほとんど満席だった。

A先生が隣の椅子を空けていてくれたので並んで座った、
私も一昨年、不如意な訴訟を提起されて一年半ほどの裁判を余儀なくされた
ばかりである。

私の判決は、結果的に恨み辛みなしの形になったので納得したばかりだが、
しかし、裁判の労力は、経済的にも精神的にも大変である。

知人は、「私であればうつ病になるかもしれないがS先生よくがんばりました
ね」といたわってくれた。

何事も経験、起こったことは後悔しても仕方がない、じゃあどうするか ?
心の 構えは そのことについては後日お話しいたしましょう。

私は、常々言うように運命論者、裁判が終わってから本当の判決が下されると
信じている、それは神々の裁きで有ると考えるから。

同じ人間の裁きと天の配剤はどう違うのか、運命の中で確認する。

話を前に戻して、
目の前の裁判は、裁判長 検事の論告、弁護士の弁論、本人への尋問
重苦しい中で進んで行った。

被告の奥さんの陳述が胸を打つ、被告本人も真摯に耳を傾けていた。

A先生とB先生はともに気心の合った男同士、
何故にとの思いは有るものの、本人にも事情があったのだろう、
あえて、触れないことにしている。

判決は年明け早々と決まった、A先生と並んで裁判所を出る、
彼曰く「行政書士は先輩とふたりだけ、みな冷たいな ?」

今日の傍聴はわれわれ二人だけと不満を述べたのである、
「こんなものですよ、私のときでも上の連中は来なかったよ」

私の場合、相手が司法書士と行政書士が絡んでいたので、虚偽の噂を
警戒して、トップふたりには常に状況を伝えていた。
曲がった形で吹聴されることを防止するためでもあった。

しかし、腹の中はどうか知らないが心配して傍聴してくれることは
なかった。

学歴優秀、学歴偏重はこんなところに形として現れる、
Aと私は空手道を学んだ者同士、人を蹴って叩くのが(突く)仕事
だから人の痛みが分かるのである。

困ったときこそ傍にいて、困ったときこそ手を差し伸べる、
良い時は、みんなこぞって寄りたがる、だから勝ち馬に乗りたい者に
座を譲る、それで良いんだとバカふたり。 こんなものです。

B先生の判決は、執行猶予がついての有罪、本人は覚悟をしていた
のでしょう、神妙にそして淡々としておりました。

日本を取り巻く外交が、厳しくなってまいりました、
上に立つものの度量が試される時でもあります。

あなたは誰に命を託しますか。
悪いときこそ、ひとの値打ちが試される、責任感の強い人と共に
してください。

あなたの悩みに共鳴する人、傍にいますか ???

もう一度 言おう
上に立つ者は悲しみに寄り添うところに値打ちあり。

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