あれは夏の日が終わりかけた幼い日のこと、
いつもの様に我が家の前の新田で友達と遊んでいた、
後ろから誰かに足をすくわれて後ろに倒れた、
ここまでは憶えている ?
気がついた私は辺りが薄暗くなっているのを知った。
多分後ろにひっくり返って後頭部を打ったのだろう?
少しぼやっとしていたが格別違和感もなく家に帰った。
その頃の子供の遊びである、間違いでイタズラをすれば
必ず悪かったゴメンと謝るはずなのだが ?
その犯人は倒れて意識のない私を助けることをせず、
目の前の我が家の家人に告げることもせず、放置したと
云うことになる。
現在に至るも名乗り出る者はいないし分からない、
あの時、もし打ちどころが悪かったなら私は死んでいた、
それを思うと人生って不思議だなと思う。
不問にして今日に至っている私と、必ず誰かがやった事は
間違いないのだから、
その当人はどんな思いで私を見下ろしていたのか ?
助けよう! 家人に知らせよう!と思わなかったのか ?
私の性格からすると想像すらできない。
子供の事であるから深く詮索はしないが、彼にとってその
後の人生にどんな影響を及ぼしたであろうか ?
私が格闘技に興味を持ちその道を求めた時、倒した相手に
気を配るようになったのは我が身の経験が大きく影響して
いる。
私の周囲には、武道家がたくさんいる、非情なほど冷徹に
相手を痛める者がいる、反面、手心を加える者がいる、
現役を退いた彼らの運命を見る時、一つの結果論が見える、
説明は控えるが明暗が別れる、
それは、不思議としか言いようのない形で現れる、情なき
者は、情なき故に非情に取り付かれる、自業自得であろう。
死んだ者の墓を暴く、水に落ちた犬を更に叩く、
こんな輩は、必ず己に帰る事を知らされる。
だから私は忠告もしない、言って聞かせない、黙って見る、
いつか己の身で他者の痛みを知れば良いのです。
( 何 ? アレ ! どうしたの ? )
夏の日の太陽が西の水平線に沈み、気がついた私に夕焼けが
優しく微笑んでいた、
「ボク、どうしたの ?」